ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編

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概要

うしぼりの文化財 民俗資料編

そのような松が残っていたのですから或は長者屋敷だったのかもわかりませんですね。(筆者註)赤松宗且の筆になる「利根川国志」には次のように出ている。「また西の入ロには「潮浪里」ど呼ぶ,J、坂あり。うしはのうし引きある故に、左は名づけしならん。もとより遊女町まで十余町、其聞を浅間下どて、いや高き並木なり。いたこのパラパラ松どして沖来船の目あての森どぞ。春は梅藤の名木四季のながめいとよろし。ここより霞ヶ浦信田の浮島J子に如し」(明和43年5月27日)石橋動さん(65歳)のお話(潮来郵便局長)「この台地は上から見るどこのようになりますね。(略図参照)東南部は低地(現在の潮来町の市街地)、北は窪地が続いて雑木林どなっており唱台上戸部落長者屋敷略図石橋郵便局長談話参照のこと。いて、道は台上戸部落へ通じております。南ど西にかけては香取の;毒。あの台地の下まで潮水が来ていたことは潮;良里稲荷の名によってもわかります。潮;良里の岬からム、jエにーなって宇'J]田山が突き出ております。この初田中の根もどが細< <びれてこの初田山の首筋を押へるたけであの台地は完全にタト敵を防ぐこどが出来ます。実に要害の地形です。ひさご塚(浅間塚)、大塚のほかに、台上戸部落に近い場所には昔、沢山の塚が-133-