ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編

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概要

うしぼりの文化財 民俗資料編

詫びもせずにお返した。乙姫様は大変においかりになり、俗人の非礼をせめて龍宮城に通ずる滝つは、の路をとさしてιしまいになった。以後、村おうが如何にお願いしても遂に膳椀は現われることがなかった」。附近は一見何の変りもない平凡な山峡の村であるが滝へ行〈幸田い道のあちこちにこわれた五輪塔や大,J、の石が草むらにかくれており土地の古さを物語って,いた。水郷の台地に残る膳棚長者の話どこの上1'1'1の心奥の谷間に語りつがれた話があまりにも以ているこどにしは、ら〈我を忘れて滝つぼに見入っていた。(昭和43年5月30日)これは余分のようだが、長者様へのお願いをする際、中裾の道祖神様の所へ紙きれを置いてきた。いや横須賀の北向き道祖神の前であった。ど言っても今更この判定はむずかしL、。然し、昔、昔、この話があったであろう当時は、今の横須賀部落周辺は海であったか、やじ河原(葦、まこもの群生地帯)てあったか、そのどちらかであったろうと判断するのがだ当であろう。これは時棚中なり、潮;良里稲荷の場所に立てばうなづける事である。直接長者伝説からはそれるが横須賀の道祖神様には次のような話がある。"ti青須賀原、鬼が出ょうが蛇が出ょうが、それ押せ、やせ押せ女が待ってる、出かけたからには止められぬ、、と若い衆はだみ唄をとなり乍ら夜の横須賀の一本道を潮来の灯に吸いょせられて行った。これは今から約五十年位前迄の事である。警泉昭和43年12月号より転載ヴ,qd可i