ブックタイトルうしぼりの文化財 民俗資料編

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概要

うしぼりの文化財 民俗資料編

るのである。r11\もみ」が終ると「陸もみ」から先になってお仮屋へ納めるのであるが、すっかり祭り気分になった若い衆達は、行きつ戻りしながらもみまくって\2時過ぎになるのが通例であった。\8日は本祭りの日である。お仮屋から出て清水屋河岸で「川もみ」をするのは前日ど同じで、「川もみ」が終ると村廻りと称し、浄衣姿の若い衆達が笛や太鼓の音もにぎ苛っかに村中を渡御するのであるが、酒食の饗宴を受けながらあっちこっちともみにもみ、踊りに踊り疲れてお仮屋へたどり着〈頃は、夜もしらじらど日月ける頃が多かった。\9日は「はち洗L、」ど称、し、お祭りの最後の日である。此の日はr'l\もみ」はやらないで「明日ないぞヨオーイヤサ」ど声をかけながら一晩中もみ明かし、三晩の疲れも出てお山に収める頃は言うに言われぬ哀惑がただよい誠に寂しい限りてあった。20日は「のぼり返し」を行う。村中の氏子が出てのぼりを倒し、お仮屋の材料ど一緒に長国寺の縁の下へ収納する。三日に渡る祭礼で若い衆連もすっかり疲れ果て、昨晩迄のあの元気はどこへやら、皮はやぶれ、はれ上った肩で重いのはり竿をかついでふらりふらりと歩〈姿は同情そのものであった。祭りの慰労会は「高払い」と言って清水屋の二階の各部屋を通しにして大勢で行った。真夏の:境きつくような太陽もどうに西浦の彼方に沈み、北利根の川面に涼風が流れ川岸の家並の火影がちらつくような頃になっても若い衆達の歌声が川面に流れて消えようどはしなかった。「天王講」の祭り抵園祭りど並行して「天王講」の祭事がある。これは昔、芝宿の草わけ36軒によって始められ、六・七軒一組で七番迄の者が順番となって行った。後に分家等増相した人々によって「隠居オ堂」が出来て、これも、三・六・七軒で本家オ堂ど同様な祭事を行っている。天王講には基本財産があって、\8日の祭日には当番宅に講中の一同を招待し、祭事どなおらえを行ったのであるが、戦争中物資の欠亡等によって、当番と受番の-80-