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概要

潮来の石仏石塔

塾を聞いて門人を教育した本間道悦や、宮本茶村は広くその名を知られています。また、水戸藩の延方郷校や潮来郷校が設けられ、この地方の教育に大きな影響を及ぼしたのですが、幕末期の水戸藩争乱では、尊捜激派(天狗党)の拠点として、激戦地にもなりました。宗教面についてみると、水戸藩領では、二代藩主光園、九代藩主斉昭による社寺改革によって、大規模な僧侶、寺院の整理と神仏の分離がはかられました。改革前には潮来町域内にも多くの寺院、神社がありましたが、二度にわたる大整理でその数は減少し、現在、住職のいる寺は八か寺、無住職の寺が八か寺です。神社もほぼ同様で、現在、氏子に奉斎されている神社は十五社です。しかし、きびしい藩の政策のもとにあっても、人々の信仰や宗教は容易に変わらず、僧侶、修験者の影響を受け続けた神仏習合、或は多神許容的な宗教観は、現在も根強くこの地方に生きていると思われます。一、石仏、石塔の調査潮来町郷土文化研究会は、長年の計画であった町域内の石仏、石塔類の調査を、平成元年度より平成二年度まで、丸二か年をかけて実施しました。この調査結果を報告書としてまとめ、『潮来町史』編さん資料集の一つとして刊行していただくものです。私達の調査の目的は、祖先が残してくれた貴重な有形の文化遺産である石仏や石塔が、現在では路傍や山野の草むらの中に埋もれ、存在を忘れられ、散逸しがちであることから、これを緊急に-調査し、保存することの重要性を痛感するとともに、今後は文化的、学術的な参考資料としても活用していただきたいと考えたことにあります。調査は、各地区の担当者が埋没したり、破損した石仏や石ご守品。塔を掘起し、周囲の草を刈り払い、汚れや塵を掃除して、念入りに調査しました。しかし、限られた期間と広い範囲の調査で、それも仕事の合い聞の奉仕活動、しかも、調査者の全・しゑワAJルι員が全くの素人で、初めての経験でしたから、手さぐりの調査でもありました。従って対象地域における石仏、石塔の調査洩れや、調査の誤りなども考えられますので、今後、町民の皆様による新しい発見、ご教示などをお願いいたします。最後に、この調査の実施にあたり、事前のご指導や、現地での調査、さらに事後の整理のご指導など、終始お世話くださいました千葉県立大利根博物館協議会委員の石井保満先生に、心からの感謝と御礼を申し上げる次第です。-20-