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概要

潮来の石仏石塔

線論板碑石碑に文字や党字が刻まれたものに、板碑があります。潮来町の板碑は十一基あり年代をみると、江寺薬師堂にある板碑がもっとも古く室町時代の永享十三年二四四一、二月嘉吉に改元)八月で、今から五百五十年前になります。この板碑は地元では薬師如来とされ、「自の病を治す」と信仰されています。近在で古い碑は牛掘町横須賀諏訪神社にある室町時代の応永七年二四OO年)八月のものが残っており、この碑から見ると約四十年後となりますが、潮来町では最古の板碑ではないかと思います。そのほかの板碑は江戸時代のものとなり、湯殿山大権現等の信仰建立となっています。五丁目の浄国寺にある板碑は辻村諸旦那等とあり、辻村から移動したものと思われます。板碑調査のなかで、ご一丁目石塔場に元和三年二六一七年)のものがあり、他にも多く見受けられたが、一隅に集積されていて調査することが出来なかったのが残念でした。供養塔供養塔・地蔵尊・巡拝塔・弘法大師・甲子塔・念仏塔・不動明・弁財天等を分類して供養塔としました。潮来町全域では百二十二基ありました。年代的に見て古いのは水原の寛永三年(一六二六年)念仏塔であり、村内に悪疫が発生したための供養塔と伝えられます。五丁目浄国寺にある阿弥陀如来は、享保六年(一七二一年)仙台播住山崎氏が六万人供養として建てた供養塔です。西町稲荷山公園下の地蔵尊には、道しるべが刻まれ、また水原巡拝塔にも道しるべが記されています。新宮の薬師如来像は元禄六年(一六九三年)の建立で、堂宇に杷られ「目の病を治す」と信仰されています。甲子塔も二基あり、これらは日待的なものであったと思われます。弘法大師塔は古高一心般に多く見られますが、現在は従来のような行列は取り止めとなっています。新しい供養塔としては、大賀の犬供養塔が昭和五十八年(一九八三年)に建立され、動物の霊をなぐさめるとともに、女性の安産を願うものとして杷られています。-23-月待塔十七夜待塔・十九夜待塔・二十夜待塔・二十三夜待塔・二十六夜待塔・子安塔等があり潮来町全域では百十基を数えました。なかでも二十三夜待塔は三十九基あり、信仰の盛んなものであったと思われます。年代的に古いのは、水原愛染院にある寛文三年(一六六三年)の十九夜待塔で、これに続いて、寛文の年号の見られる月待塔は十基を数えます。月待塔には聖観音・如意輪観音など彫像が多く文字塔は少数でした。