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概要

潮来の石仏石塔

一定の場所で講を聞き、語りあこの信仰は月令を見ながら、かし出産、子育の無事を祈り行ってきたものと思われます。二十三夜待塔で小泉の大六天様にある塔には、男性の名前が刻まれていました。また大洲区では男性による講が聞かれていることもわかり、講は女性だけのものではないことを知ることが出来ました。ここで参考のため「ふるさと潮来第六輯」に掲載した、根本芙美先生の「月待塔と女人講」で、横田甲一氏が「日本石仏」の中で室町時代から桃山時代の月待信仰の結衆は、男性主体であったことを「月待板碑」によって述べていると紹介しています。このことから、男性の講が続いていることも不思議ではなく、現在でも地域によって男性だけに二十三夜待、待講、観音講などは続いているようです。庚申塔月待講が女性中心であるなら、庚申講は男性の講であったと思います。潮来町全域では百二十一基あり、潮来・延方地区に多く見られますが、津知地区には僅か四基しかなく、特に下辻からは一基も発見されず、庚申講も聞かれていないようです。庚申塔は青面金剛像と三猿の彫像があり、文塔には青面金剛、猿田彦大神庚申塔が多く見られます。庚申塔は庚申講との関係によって造立されたものです。庚申講は六十日一回「かのえさる」を庚申の日とし、六年一回閏庚申があり、六十年に一回庚申年となります。庚申塔の多くは年代的に見ると、元文五年(一七四O年)に建立されており、以降六十年ごとに集中して建てられています。寛政十二年二八00年)万延元年(一八六O年)大正九年二九二O年)昭和五十五年(一九八O年)が庚申の年にあたります。年代的に古い庚申塔は、東区弁天様に建立されている正保四年(一六四七年)で、これには三猿の彫像が刻まれています。また三丁目石塔場にある三猿の彫像には、男女の性器までが刻まれています。(P七頁参照)。また、庚申様は農業、商業の神として信仰されたことでしょう。馬頭観世音馬主が牛馬の守護神とし、また馬の霊の冥福を祈って建立したものです。潮来町では大生原地区に多く、全体では二十九基確認されました。台地の地方では農耕馬としたり、運搬用にしたり、農家にとって極めて重要な役割を担っていました。年代的には享和元年(一八O一年)のものが釜谷・築地にありますが、それ以後の建立が大部分です。また築地の妙光寺には釜谷村と記した馬頭観世音もありました。馬頭観世音は、文字塔が大部分で、彫像は辻の正監地区に文化六年(一八O九年)に建立された馬頭観世音が馬に乗った塔が一基だけあります。これは堂宇が建てられているため損傷が少なく、現在も年寄りが集まり年一回祭りを行っております。-24-