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概要

潮来の石仏石塔

道祖神三叉路や村境に多く建てられて、饗の神とし悪霊の侵入をさえぎるとされ、行路を守り、産の神などとして信仰されてきました。潮来町全域で五十三基あり、年代的には寛延三年(一七五O年)の塔が古高に建てられて、道しるべとなっています。また築地の道祖神も道しるべです。貝塚の道祖神は、堂宇に納められ鳥居が奉納され、年一回祭りごとが行われています。年代不詳ですが、大生渚に双体道祖神が祈られています。これはもと東京都池袋の三叉路にあったもので、会社の建築工事の関係でこの地に移転してきたものです。造立した年代がないが、石質や形態から江戸時代前期のむのと思われます。神社権現天照皇大神・伊勢大神・阿夫利神社・富士浅間神社・稲荷大明神・金見羅大神・出羽三山・三峯神社・天満宮・石尊大権現など数が多いものを、分類し神社権現としました。潮来町全域では六十八基で、なかでも石尊大権現(阿夫利神社)は二十三基もあります。農村において石尊は「雨乞いの神」と知られ、広く信仰されています。天照皇大神(伊勢大神)信仰は全国的なもので、古くから「お伊勢参り」の言葉が伝えられています。大賀の古文書に「一万道のこと」という講帳があり、それによると寛永九年四月(一六三二年)に講が聞かれています。「一万道のこと」とは、伊勢大神のおし信仰であり御師によっての布教でもあったようです。年代的に見ると、大賀浅間神社の承応三年(一六五四年)が最も古く、山岳信仰では浅間神社、阿夫利神社など合間しである石塔が目につきました。天満宮については、大生原地区に七基あるだけで、他の地域には全く無いこともわかりました。水神宮潮来町全域で三十三基あり、延方地区には十七基と多く数えられました。これは北浦、前川常陸利根川に固まれた地域でもあることから、水難や洪水に対する安全を祈ったものです。特に周囲を水にかこまれていた大洲水神宮や徳島の水神宮は、地区の氏神とし紀っており、年一回大祭を行っています。水神宮主としては石洞が多く、必ず鳥居が奉納されているようです。年代的に古いのは、水原の享保二年(一七一七年)のものです。あやめ町にある水神宮は東京深川口庖が船中安全を祈ったもので、大正四年二九一五年)に建立、福島の水神宮は大洪水が続いたため、明治三十二年(一八九九年)に建立されたと伝えられ、堂宇の中に納められています。-25ー