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概要

潮来の石仏石塔

は外道の神として、如来、菩藍より一段と低い地位に置かれている。これが天部の諸尊といわれているものである。たとえば、仏教成立以前は印度教において最高位の神であったプラフマは究天となり、同じくイソドラは帝釈天となった。ともに仏法擁護の神とされている。山・川・草・木・鳥・獣や風・雷・太陽・水など自然物や自然現象を神格化し、擬人的にあらわしたものが多かったので、男性・女性・鳥獣・鬼畜・甲胃に身を固めた武将・正装した女性などもあるといった工合である。印度古代の婆羅門の宗教または哲学上、宇宙の本源で万物の創造者である円満具足大自在の神で、能生万物の主と考えられていた。帝釈天党語イγドラの訳語で、印度教の代表的な神インドラのこと。党天などと共に印度古代神話中に現われ、とくにヴェーダ神話では讃美の対象となっている。党天も帝釈天も釈尊の生前から修行時代を通じてその行を助け、釈尊の擁護に力を尽くしたと説かれている。わが国の古い造像は、党天も帝釈天も二骨像で、両者とも甲胃の上に砲をまとい、党天ほっすは払子または鏡をもち、帝釈天は天扇(唐扇)または柄香炉、まれに金剛杵をもっている。七世紀以降になると、新たに婆羅門の神としての党天と帯釈天となり、独尊として密教像に組み入れられ、像容もかわってくる。党天四天王持国天増長天広目天東方1剣、鉾、太万南方1万、和(さく)西方l巻子、耕、筆、索北方1塔、和、棒、槍四天王は国士の四方を守護する鎮護国家の武将である。四神はいずれも籾利天の主である帝釈天王の外臣で、天命を受け、四天下を巡行して諸人の善悪作業を調査し、これを帝釈天に報告するという。四天王は婆羅門教の神々で、印度においては神話時代から護世神として信仰されていた。須弥壇上では、向かって右前から左へ順次東、南、西、北の順に配置ぴしやもんされる。四天王の中から特に多聞天だけを取り出して毘沙門天として尊崇し、富貴栄禄を祈願することがある。経典では、「金光明経」に現われ、護国安民の天部となった。中国では唐の義浄によって「金光明最勝王経」と翻訳される。わが国では、聖徳太子が物部守屋をうつために四天王寺が建立され、その造像も行われた。その他の天部には次のようなものがある。竜王・夜叉・迦きちじようてん楼羅・深沙大将・吉祥天・弁才天・鬼子母神・火天・焔摩天・羅利天・水天・地天・日天・月天・摩利支天・大黒天・聖天・章駄天など。多聞天-37-