ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

私の生家永作よし私の生家は、母屋が東向きに立てられていた。その北側に味噌部屋があり、中はコの字形に物が置かれていた。味噌・醤油・漬物・カマスに入った塩ホッケ・数の子などがあり、糠漬けのカメは温度調節のために三分の二ほど土の中に埋めであった。家は高台にあったが、井戸は不思議と浅かった。中をのぞくとその上に井戸側底は岩磐で、まわりの粘土は岩のように固く、が五本ほど積まれていた。年に一度土用の丑の日には中に入つて井戸さらいをした。南側には、釜場と風日場があった。釜場には、大釜、中釜、飯釜、汁釜、茶釜、消壷などがあり、消し炭で餅などを焼いて食べた。釜場の上の三角形の棚には荒神様が配られであった。荒神様はかまどを守る神様である。私達きょうだいは男二人、女四人の六人である。一番早く起きるのは母、そして私と妹が起きる。きちんと身仕度をした母が釜場に入り、先づ荒神様に手を合わせ祈りののちに釜に火を入れる。これが一日の始まりであった。私と妹の朝の仕事は庭掃除である。家の廻りをぐるりと掃き清めるのだが、霜の下りる世帯い冬はつらい。でも庭に帯の目をきちんと付けると気分が良く寒さも忘れた。続けて隣の家までの路地を掃くのだが、雨が降るとやらなくても良いので嬉しかった。それが終わる頃、朝食の支度が出来ていた。母が丸いちゃぶ台に食事を並べる。姉妹が二人づっ組んで手伝う。小さい妹二人は小皿、箸などを出す役目である。そして父母をはさんで食事をとなり、一日が始まる。母は何故か三日月と満月の夜に月に手を合わせて祈っていた。私はずっと不思議に思っていたが、或る日妹と一緒に勇気を出して聞いてみた。すると母は「何だ見ていたのか、これは私の心の祈りだから。」とはっきりした答えは貰えなかった。六人のハhU1i子供を持つ母の祈りの気持ちは、今私にもわかる様な気がする。風呂は五右衛門風目だった。それを焚くのは二人の弟の役目だった。出来上がると一番に父と二人の弟が入った。母は風呂の加減を聞いて来いと言う。ぬるいから少し燃やせと父が言うので私と妹が火を燃やしていると、ハメが弟二人に語りかけている「人間は欲張っても、時には良い事と良くない事がある。」私達が思わず見ると父は、両手を合わせ少し離して風呂の湯を自分の内側にかき込む。すると湯は父の脇の下から外側に流れ出る。次に手の甲を合わせて外側にかくと、湯は脇の下より内側に