ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

茶碗酒を岬っている。はやる心で後から合流した中学生組は、早夕飯のおむすびを頬ぼると、小学生達が担いできた神輿と交替し掛け声を上げて担ぎ出した。さすが小学生と違い勢いがある群集心理というか、中学生らの神輿も暗い夜道を担いているうちに彼等は、大人の仲間に入った気分になり、顔が見えないのを幸いと、酒も飲まないのに千鳥足、だんだんと品も悪くなり、アンパ曜子の下品な曜子文句を、蛮声を張り上げて合唱したりする。彼等にはまたスリル満点の楽しみがあった。それは、休憩中の先輩の神輿係や、役員の目を盗んで神輿を担ぎ出し、何処かへ隠してしまうことだ。隠し場所はOBの先輩の意見に従い、他部落や村境までも行動範囲に及んだ。これは先輩達を困らせることが目的だが同時に、一年に一度の祭りを、なるべく長持ちさせようとする子供達の切なる願いでもあった。私達の子供の頃は、未だ昔ながらの生活や、気風が残っており、経済的には恵まれてはいなかった。教育水準も低く、昔の寺小屋時代の「読み・書き・そろばんさえ出来れば良い。あとは身体で稼ぐことだ」と、労働に汗を流した時代であったが、しかし、一方では、日常の生活の中から必要なものを、自分で学び取る『生活の知恵』の時代であった。村祭りは、地域全体の協同生活を通して、これらを学ぶ良きチャンスであったろう。子供達の担ぐ神輿の蛮声も、神輿隠しの蛮行も、やがて一人前になるための一過程として、大人達はやさしく見守っていたのである。追憶布施-19-平成八年の冬は寒かった。二月に入って続けて雪が降り、半ばの二二日は雪が無かったが、寒風に身を縮ませ、吐く息がサッシを曇らせていた。外を見ると、向いの牛舎の土聞がぽっかりと空いているのに気が付いて、はて?と思った。いつも車庫の替わりに使っていたので行ってみたら車はなかった。それでも盗まれたとは思わなかった。誰かが借りていったのだろうと軽く考え家内に話をしたら、「誰かが借りて乗り出したのだろう、そのうち返しに来るよ!」とあまり気にしていなかった。考えてみると此んな高台の不便な場所へ、わざわざ泥棒に来るとはとても考えられない。今は何処の家にも車の二・三台はある