ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

差し出たまいし今日の佳き日はみ光の良き円なり恵みあまねき祝えもろ人十一月三日明治節亜細亜のひがしひじりの君の教えあまねく治めたまえる君が代をもろ共に日出づるところ現われましてみちあきらけく以上回大節といいまして、村の有志の方々をお招きして、うや御代とうとて帰ったものでした。うやしくお式を上げました。帰りには、紅白のうち菓子を頂いそれそれに秋の運動会と暮れの学芸会、から、どん栗拾い、落穂拾い、といなご取り等、今考えてみます一つ一つとても楽しい思い出です。観音信仰と安産祈願長園寺住職内藤信也当寺の本尊様は水戸光国公の寄進になる「聖観音菩薩」ですが、平素はお厨子の扉が閉じられていて直に拝することはできません。毎年お盆の月の十七日l観音様の御縁日lにだけ、扉一を開き直接お参りしていただきます(観音様の御縁日は、毎月十七日または十八日と定められています)。この日、遠く江戸時代には歌舞伎が演じられ、遠近の老若男ヨリ女が境内を埋め尽くす賑わいを見せたそうです。私が子供の頃にも、僅かながら露店がでていました。その後次第にお参りが減ってしまいました。時代とともに生活様式が変わり、信仰心が薄れ、様々な娯楽が増えたことがその原因でしょう。さて、御縁日の朝、一年ぶりに御厨子の扉を開けば、万人の母の如くやさしく、懐かしい微笑みをたたえた御尊顔が現れます。観音様はこの一年の聞にいたるところにお出かけになって、悩み苦しむ大勢の人々を御救いになられて昨晩お帰りになり、今朝は何事もなかったような御顔でこちらをご覧になっています。夜には、近所のご婦人方が集まっての慶讃の法要です。そ