ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

持ち帰った。母になじられたがどうしようも無かった。後年、佐原の町で偶然彼女に出会った。十数年ぶりの彼女はふっくらと美しく成長し、背中には可愛らしい赤ちゃんをおんぶしていた。まだ独身だった私は肱しく彼女を見るばかりだった新年の行事坂本照子一年のうちで大きな行事といえば、どこの家庭でも先ず正月を迎える準備ではないでしょうか。地方により、又家庭によって違いはありますが、時代が変り、新人類といわれる現代っ子達にとっても、正月は新しい年の始まりという気持ちで、昔の名残りを多少なりとも受け継いだ行事をしていると思います。私が育った生家の習慣は、暮れから一家総出でその作業にとりかかりました。特に男の仕事と女の仕事に分けてそれぞれを分担し、新しい年を迎える準備が大変だった事を覚えています。その記憶をたどって書いてみました。男の仕事家長は先ず〆縄作りから始めます。〆飾りの材料の藁は、秋の収穫の時に青くて長い良い藁を選んで確保しておいたものを使います。どこの家庭でも自分で綱なうのが決まりでした。門松は山に行き形の良い松と竹を取って来て飾ります。飾る日は、一夜飾りと、九の日を縁起が悪いと嫌うので、二八日か三O日に飾ります。今ではほとんど行われていないと思いますが、正月に使う箸は山にあるH ぬるでHの木で作りました。ぬるでは皮を剥くと白くて柔らかな感触です。両端を細めに中央は太めに削り、どちら側からでも食べられるように作りました。餅を円L泊A1掲く日も卯の日と九の日は嫌いました。お供えは仏壇、神棚、荒神様、氏神様、床の間用と作り、特に床の間用の餅は独特なものでした。下に丸い一升餅を置き、その上に一二個の丸餅を載せます。それは干支の十二支を表わしているとの事で、それを一升析の上にのせ床の間に飾ります。そして正月の二日に家長が鍬の上に載せて田んぼへ持って行き、「カラス餅々」と三回称えてて今年の豊作を祈りました。女の仕事主婦の役割は、正月に食べる料理の準備です。先ず漬物ですが、七日正月の七草粥までは青菜を食べない風習なので、大根