ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

の漬物をいろいろ工夫して作りました。懐かしいのは大根のぶつ切りと麹を混ぜて漬けこむべったら漬け、生萎を芯に巻いたはりはり漬、それに大根なますです。数の子は昔は乾物だったので早くから水に戻しておきました。あとは海草の寄せもの、けんちん汁や黒豆、昆布巻など今も受け継がれているものです。黄名粉は自分の家で穫れた大豆を使いました。平たい大きなほうろく鍋で妙り、大きな石臼で挽きます。一人で回すのは重労働なので、母を手伝って二人で回しました。石臼を回しながら母といろいろな話をした事が懐かしく、貴重な思い出として残っています。子供達はそれぞれの年令に応じた家の掃除を手伝います。年長の兄は神棚の掃除と決まっていました。きれいに準備が整ったところで大晦日を迎えます。今と違い私の幼い頃はテレビは無く、ラジオで歌合戦を聞きながら、炭火の堀矩健に入って、秋から藁に包んでぶら下げておいたH 青さ柿H (うみ柿の一種)を食べながら除夜の鐘を聞くのが習わしでした。新年の行事我が家の元旦は、家長の新年の行事から始まります。家長は早く起きてまず神棚に水を上げ、仏壇にお茶をあげてそれぞれの所にお供え餅を飾ります。主婦は朝食の仕度を並べ、準備が出来たら新年の挨拶を交し家族揃って食卓につきます。子供達はこの時お年玉を貰えるので元気な声で新年の挨拶をしたものでした。三ヶ日の朝食の餅の食べ方には決まりがありました。元旦には黄名粉餅、一一日目は雑煮、三日目は館という順でした。私は甘いあんころ餅がきらいだったので、母にこっそり雑煮をつくってもらいました。母から新しい足袋と下駄をおろしてもらい、それを履いて地区の神社にH おさご二米)を持って母とお参りに行きます。神-43-社の建物の角々や石仏におさごを上げ、今年の無病息災を祈願します。子供達の正月は、兄姉や近所の子供が大勢集まり、家の中では福笑い、カルタ・トランプ・百人一首をし、屋外では凧上げ・ベlゴマ・パッツケ、女の子は羽根っき等、年の差など関係無く仲間に入って遊びに興じました。その光景は六O数年経った今でも懐かしく匙ってまいります。私も親が教えてくれた何分の一かは自分の子供達に伝えて来たつもりですが、果してどの程度暮れや正月の行事を身につけてくれているでしょうか。正月に帰省する娘達が「お母さん黒豆作つである?お母さん