ブックタイトル牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

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概要

牛堀の文化 第4号 特集「私の昭和史」

生で、彼はやはり頭が良かった。先日、五五年ぶりに池袋で村井さんと再会しました。疎開の時の子供だった面影がお互いに残っていました。昔、牛堀で友達と遊んだことをよく覚えており、大いに話が盛り上がりました。小学校卒業と同時に村井さんは立教中学、私は法政中学へと進みました。当時は野球は六大学が盛んで私達の青春でした。一年に一度は牛堀に帰ります。今年は花火大会の日に帰りました。きれいでした。来年も是非、花火を見に帰りたいと思つています。私の牛堀j可野喜代子父の仕事の関係で、小学校六年生まで牛堀に住みました。そのころ、日露戦争で活躍したラッパ手が八代に何人か居て、早朝に交代で北利根橋へ来て高らかにラッパを吹き鳴らしました。私達子供はその音に目覚め、権現様の前に並んで学校へ行きました。服装は大方は着物に下駄ばきで、祝祭日は袴を穿いて行きました。校門の前にも校庭にも桜の木があり、四月には満開の花の下を通学しました。門の内側に奉安殿があり、行き帰りに礼をしました。校外授業では、先生に引率されて裏門を出ると一面の菜の花畑でした。秋には草を分けながら権現山に登ると、河原なでしこ・山百合・笹百合・りんどう・結便・われも紅・女郎花などが一面に咲き盛っていました。しようろ茸とかきのこも種々生え、赤とんぼが群れ、いなご取りに夢中になったりしました。張り出した松の根に腰掛けてお間当を広げると、眼下に霞ヶ浦と水のきらめく北利根川の素晴らしい眺望が開けていました。夏は遥かに土浦の花火を見、川の水はすきFhddA1通り、白魚の群、ゴ口・エビをざるで掬ったり、ごはん粒で金色の鮒を釣り上げた事もありました。大きな鯉が飛び上がる音や、岸で釣りをする人の大きなたらいに、差し渡し一杯の鯉がパクパクと口を動かしていた事など忘れられません。朝夕には、向島の人達が小舟で川のみよから飲料水を汲んでいる風景が眺められました。横利根川から遊覧船が北利根川へと進んで来ると、私達は手を振り、船の人達もそれに応えて挨拶を交しました。船の後には大きな波が立っていました。子供の遊びはお手玉・竹馬・凧揚げ・杉鉄砲づくり、鬼ごっこ・ゴム飛び・まりっき・羽根っき・一列に並んで向い合い「ど