ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

はさんで佐原市K、北は麻生町と堺している。地理上の正確な位債づけは、東端が東経一四O度七三分で大字延方徳島の突端、西端は東経一也O度三二分で大字糊釆の西端、南端は北緯三五度五四分で大字糊来十四番の突端、北端は北緯三五度五八分で大{子大賀の北端をもって四至を限っている。地形は概約、北西部は浅い侵食谷を伴走った洪積層の海抜ニO米から三O米の低い台地と、それK統〈ゆるやかな丘陵地帯であb、南東部が北刺根川、前川、北浦、鰐川、外浪逆浦の水に阻まれた海抜一米からニ米の沖積層の低湿地帯で、いわゆる水郷糊釆デルタ地帯と呼ばれる部分から左Dたっている。とのような郷土(狭義K潮来地万の意K用いる。以下同じ) の自然環境がとの地万の歴史の一発展K及ぼした影響は大き〈、古〈からとの自然の恩恵を受け、またその開発K努力してきたととがとの地方の歴史ともいえよう。二、原始時代の郷土今よhy叡万年前の郷土は海水が深〈侵入していて現在の地形とは大分異なっていたらしい。日本の地形がほY現在の様なものK左ったのは約一万年前といわれる。その頃は現在の稲荷合、大塚野、天王台、江寺、貝塚、築地、氷原、釜谷、大生、大賞などの高台が海中K突出して陵地をなしていたK過ぎず、現在の郷土の大部分は海中Kあったと考えられる。各地から発見される各種の貝殻などはそれらの地域が古〈は海底にあったととをうかがわせるものであろう。ζ のような郷土Kいつ頃から人類が住むようKなったかは明かで左い。一般的Kは地質年代でいう洪積世の末から沖積世のはじめ頃日本の国が現在のような形K念b、その頃Kはすでに臼本K人類が住んでいたといわれている。そして最近では県内の各地からも縄文時代K先行する旧石器時代、即ち無土器文化の遺物の発見が報告されているが、郷土では末だ旧石器時代κ属する遺跡遺物は発見されていない。しかし新石器時代K属する縄文文化時代の人類の生存を物語る貝塚は、狭間、塔の上、貝塚(地名)、横山、情念ど叡多〈台地上K分布している。郷土Kなけるとれらの諸地域は、農耕が未発達で狩bや漁や自然物の採集生活であった時代kbいて、背後Kは森林が繁茂し、前面Kは多〈の入江をもった静か左海が開けていたととは人聞の居住地と-5-して最良の環境であったろう。ζ れら-諸貝塚の分布を辿ってみるとζの時代の海岸線はかなD内部まで入D込んでいたととになる。またとれらの貝塚から発見されるものは、はまぐD、あさD、さ方え左ど各種の貝類のほかK鹿、猪、犬左どの獣骨、石斧、石錦、石皿、石棒等打製や魔製の石器類と多〈の縄文式土器(始ど縄文中期のもの)である。との縄文文化の卓越するのは、関東及び東北地方であるが特K霞ケ浦、北浦周辺K位置する郷土はまさKその宝庫であD、今後専門的な調査研究が念されるならば、この時代の生活の具体相がよD解明されるであろう。とのような縄文文化の時代は極〈ゆるやか左テンポで叡千年の長い