ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

期間続き、画麿紀元前ニOO年から一OO年頃は稲作と金属器をとも在った新文化が伝来し、函日本から次第K普及して〈る@いわゆる弥生式文化の段階K入るが、函日本K卓魅したこの文化の影響が郷土K及んだのは、水戸尉辺の遺跡の例などから推定し、少左〈とも西暦紀年一世紀以降のととであろう。ζ の頃の住民の生業は前代K引続き、狩猟、漁務が主体であったろうが、それが次第K水田耕作を主とする生活へと移行していくζとは、郷土でも焼米の入った土器が発見されているとと(新訂茨城の歴史) ゃ、かつて糊釆一中の建設現場K、多叡の弥生式土器類をともなった住居跡の脊在したととが、工事関係者Kよって確認されているととなどからも明かである。弥生式時代の期聞は五OO年から六OO年の短期間であるが、稲作の技術と金属器の使用は急速K普及していったa 住居も台地から低地へ、移動生活から定住の生活へと変化し、それKともなって集落もむらを形成し、史Kむらから部落国家と呼ばれる〈Kが発生して〈る。とれらの小白出家群はまた次第K少訟の勢力者K統合されて、三世紀後半から幽世紀の前半Kは日本全体が大和の勢力のもとに統一される。そしてまたとの勢力は四世紀の後半には海を越えて朝鮮半島Kまで進出していく。との国土統一の様子は八世紀初頭K成立した古事記、日本書記に記載される神武東征、四道将軍の派遣、熊襲蝦夷伐などの物語Dからも或る程度想像できるが、ζ の時代の郷土K関しては各地K現存する古墳が大和朝廷の勢力を反映したものであるととろから、その分布なP、発掘調査の結果などから、その大体は推定され、又文献的Kは、記紀とほV同時代K鍵録された常陸風土記の内容からも或る程度知るζ とができよう。三、古墳時代の郷土弥生式文化時代の末期である三階一紀後半から六世紀の後半までは古墳時代と呼ばれ、高塚義制の行われた時代である。同時にζれが大和朝廷の発展の最も著しい時期であった故、地方K現奇する古墳の分布をたどるならば、その努力の伸展の様子がほV推定できるといわれ、それから考えて常陸国が大和朝廷の影響を受けた時期は、少左くとも五世紀後半から六世紀前半で、中期Kは完全K大和朝廷の支配下に入ったといわれるレ(水戸市史上巻)。ζ のことから類推して郷土K存在する古墳の築造時期も大体乙の頃ではなかろうか。現在郷土の古墳で存在の明か左ものは県文化財保護委員会の調査K-6-よると、新立古墳、後明古墳、中辻古墳、天王原古墳、小泉古境、原古墳、貝塚古判明群、境塚古蹟群、中台古幼群、水原古場群、国ノ森古幼群、釜谷古幼群、大生東部古坊群、大生西部古幼群、篠山古以群、浅間隊古場群と正式K登録されているものだけでもまさに古域の京臨時ともいうべく多数の古地が存在している。とのうちで本格的左調査の行われたものは、旧大生原地区で附和二十六年国学院大学の大場盤雄氏を団長として実施されたものだけである。ζ の報告蓄Kよると、大生原地区の古墳群は大字名KよD五群K分けられ、H大生画部古墳群三七奉(うち前方後円墳六奉)口大生東部古墳畿六五基(前方後円墳二基)臼釜議古墳時計十一基(前方後円墳一基)細大賞古墳群三基(前方後円墳一基)同水原古禎群