ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

方等広〈各村κ土着帰農し、ζの地方の草分百姓(長百姓)と呼ばれ、その後の村政の中心的地位を占めたようである。八、幕藩体制下の郷土且且匝政権を背景として常陸を統一した佐竹氏の鎖国支配も、水〈は続か乏かった。慶長五年(一六OO)天下分自の関ケ原版Kよって徳川氏の政権が確立するや、ζの関ケ原戦kbける佐竹氏の日和見的態度が家康K戒められ、出嵐長八年ご六O三)K常陸下野五四万余石の大寺名から、秋田の地二O万石余へと減封移封を命ぜられるが、ぞれが又常陸の歴史を大きく転換させてい〈。徳川氏は関ケ原戦以後、全国大名の移封厳封改日朝等を思いのま』に断行して、一政権の確立強化Kつとめた。その結果常陸園内では中世以来の旧族は一掃されて、その跡へ徳川氏Kよる新領主が配量されたのである。郷土では旧糊来、津知、延方地医が水戸藩徳川氏K所属し、所謂「潮来領一万石」と称される飛地の一部であb、旧大生原地一阪は慶長七年ご六O二)以来常陸では珍らしい外様の小藩新庄氏(初封三万石後K一万石)の領地K組入れられたのである。しかもζの水戸港、麻生蓬は共K慶長年聞の入封以来、明治の廃藩に至るまで断絶な〈一貫して領主権を保持したため、江戸時代の郷土の歴史は御三家水戸徳川家の支配下たる潮来、津知、延方と、外様の小藩麻生新庄家の支配地であった大生原地区K二分されるが、以下幕藩制下の郷土の姿を若干の扇自にまとめて概説してみる。判、村政旧藩時代にそれぞれ大藩水戸港領と、小選麻生滋倣とK分かれて支配された郷土は、当時現在の大字程度が独立して村をなじていた。そ村刷、耕地規模を表K集約すると次の様であ。沿乏芝元禄1 5 年明治年選見IJ潮来村922石6斗1升8合1 4 D 6石4斗O升6合水戸藩二重谷村無f局542・2 5 9 大竹左馬太郎支配大洲新田2 D 1・1 5 6 6 7 6 ・9 3 4 水戸毒事辻村7 1 3・6 7 5 7 8 7 ・0 5 4 水戸落延方村10 5 9 ・3 3 7徳島1 2 8 ・7 6 3 7 4 4 ・0 3 6 7.J< 戸緩古高1 D 2 9 ・0 2築地村6 1 5・2 2 552 ・8 水戸港大賀村298 ・5 6 5 502・5 3 8 麻生法大生村3 7 1・5 9 。3 6 5 ・49 9 8 麻生滋;釜谷村2 9 8 ・5 6 5 3 8 5・5 麻生滋7.J< 原村5 2 5 ・1 4 。7 8 2・6 9 6 麻生法右のようKニ藩(二重村は人家無〈天領で代官支配)K町民分されていた郷土は、それぞれ異念った歩みを続けるが、封建制下の村落とo元禄15年は新編常陸国昔、より明治1年は茨城県史史料各村旧高簿Kよる-13-