ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

刃、尖顕器等の石でつ〈られた物でした。素焼の土器を使用しはじめたのは約一万年位前からであろうと云はれて届bます。愛媛県の上黒岩治跡や神奈川県の百尻島貝塚等からとの時代の土器が出土しました。との頃を縄紋早期の時代と云ひます。潮来では前K述べました狭間良縁がとの時代の次の時代医分Kなる縄文前期(約六千年前)の進跡であ-Pます。今後の研究Kよってよb古h時代発見の可能性は十分Kあると考えられます。縄文時代を研べるためKはその時代の地形と現在との差迭を考える必要があbます。地球は火山活動のはけしかった一万年前よb六十万年前の洪積世時代K四回氷期があったζとを地質学者は実証して居bます。年前から七万年前がその第四氷期K当・夕、地球の北半球は氷K績はれて居bました。その結氷のため海水が誠-D、現在よb慈か仲まで陸地であったろうと云はれて居bます。一万年前頃から地球もだんだん暖かになhy氷が解けて海水が増えて参hyました。ζの時代K現在の霞ヶ浦や北浦K海水が侵入しました。谷津田迄海であったととHU「津知の江寺の谷間で回を掘b起した時K海の員が出た」話を開きましたζとKよってもわかhます。その時代は鹿島は現在の鹿島町国末あたりまで半島であb、行方も大生野原台地が半島の突端Kあたb、ζれらの陸地κ固まれた北浦や霞ヶ浦は波静かなる入江であ-P、風光明婦な景勝地であったととは想像怠れます。ζの様K人間が住むのK好い環境であった霞ケ浦利根川周辺は縄文遺跡である員塚が多いのでは全国的Kも有名で万あhyます。現在抑制来Kは左記七ケ所の貝塚が知られて居bます。狭間貝塚潮来町狭間一四九一番地l一四九四番い山林貝塚部落A貝塚潮来町貝塚山林貝塚部落B貝塚潮来町貝塚山林横山A貝坂制米町水原横山一四白七番地t田横山B貝塚糊来町水原横山梨の内一四四七番地止問答の上貝塚潮来町江寺塔の上一一四八番地畑塙員塚糊来町大賀橋四三八番地山林ζれらの員塚は全部台地の上Kあbます。とhからは縫製石器や加曽利E式とか勝坂式、掘之内式など縄文中期から後期晩期迄の土一20-器破片がよ〈発見されます。潮来高等学校ゃ、古高部落の松崎氏宅Kはよ〈蒐集、保有されてあ-Pます。小破片Kいたっては畑の中に散乱している所もあbます。貝塚とは縄文人が食糧とした魚貝類や禽獣や木の笑等の残津を捨た場所であhy、住居のえ傍Kあbました。宅地跡と見てもよいと思ひます。貝塚の中Kはそれぞれ場所Kよって違いますが土器、石器動物の骨、植物の笑、土偶、人骨、等が埋没してhuh、当町の人達の生活を知る上K重要な参考Kな-Pます。文字の無かった当時の状況はとの様在処から出土する物を資料として推理するζとKよって知るζとが出来ます。貝はアルカリ性の為κ、その中K埋没されてあった動物の骨、植物の果実等が、叡千年の星霜を経て、尚酸化されず原形を保持して