ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

えしきおとしき二人が見えている口叉、兄師木、弟師木左どいうものがある。新叉HH師は当時蝦夷の男子のつけた名であるo五建借聞の命への崇神天皇の命令は「東国Kはまだ米作Dを覚えいのししず、毎日毎日鹿や猪を追いかけまわしいいるものがある。彼等を討ち平げて草原を稲田にかえよ」との事であった。建借間命はいは玄関拓団長であろうか。五段士痛に〈斬殺るすとと舌百ひひしし所所布伊翻1 多奈久のの村郷古渡安〈殺ると言ひし所:・安伐の里1阿波古〈殺すと言ひし所:・士旦別の巴右Kついて「宮本茶村郡郷考」Kは布都奈の村は延方の古高安伐の里古高の安婆台古削の口巴は延方の江崎と述べている。U1 戸いmm円==ロ更K考-証の一助として、風土記の由来。其他潮来K関係のあるものを摘記して見るζ とKする。一、風土記の由来漢字の使用が自由に在った元明天皇の和銅六年(七一三) 五月よくせき「銀、銅、彩色、草木、禽獣、虫等つぶさK色目及び土地、沃曲解山川、原野の名号の所由、叉古老相伝の旧事異事等を史籍K載せみことのりて言上せよ0 」との認があった。これが風土記でるるが和銅の時Kは風土記といふ名称では左かったo風土記といふ名称は奈良朝以後平安朝につけられたものであらぅ。それは、延長三年(九二五) 七道諸国の司の太政官符K「五早速K風土記を勘進すべきζ と」とあるととによって推定されるからであるo其後官接Kよる古事記があhy、風土記は古事記、日本書記、祝詞、歯肉葉集と共K『古典』の一つであるoζ の当時は支那の文化を輸入して、日本の文化を整いつ』あった時代で、奈良時代は歴史の編纂が盛んK行はれ、天武天皇以来国史の編纂は進められ、前年Kは古事記が奏上され、叉翌年の和銅七年Kも再々認が出、養老四年五月Kは日本書記が完成されたのであります。歴史は時間的発展K於いて人間生活を明かにするものであDますが、それと並んで空間的肱りともいふべき土地との-27-関係を究めなければ走ら泊ものであれYまず。実Kそうした意味から歴史と並んで日本の全体的左姿を見ょうとして出発した重大在意図があったと思います。古事記や日本書記は中央でつくったものでありますが風土記は地方地方が作ったものだけに興味の深いものがあります。常陸、播摩、出雲、肥前、豊後の五風土記で完全K近いものが出雲風土記であるo他は断片的K幾らか残っているK過主左い。出雲の風土記で、天平五年二月K作ったととが明記されていますから和銅より後K出来たものであhyます。それK比して常陸風土記は和銅六年の認に応じて間も合〈出来たものと考へられています。