ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

あった。自ら百丈禅師の百丈清規を実践し、自ら考案した大鑑清規を作って日本禅林を覚醒せしめた功績は大きいo小笠原流の礼もとの清規よD源を発していると云われるo長勝寺の鐘銘は円覚寺在住時代K書いたもので、時K五十七才であった。しかも往時の拓本によれば正K真蹟K初練とした墨蹟を見るが如〈、よくその特徴を発揮した作品でありおそらく禅師の墨蹟辻の史蹟神社神道の田町揚と国民精神の作興ほど現代の我々Kとって急務であD且つその必要性を感ずるものは左い。科学万能の世の中Kあってや』もすれば民族古来の精神を忘れようとする現代社会に於て我我祖先のあゅんで来た過去をふりかえりそしてその中に潜む民族的精神を扱み取D生々発展する未来えの糧としようとする事ζ そ我々Kかせられた義務であると思い敢えて一言述べ度い。それ故今乙』K古昔よりとの土地K住した者達にとって尊崇の的と左hy真心をとめて祭記を続け彼等のすべての生活の中心と在っていた産土の神硯宮神社と月読神社とについて少し〈述べようと思う一、硯宮神社祭神は応神天皇外七柱の神々で創建については不詳であるが当時の我々の祖先は勿論神社神道K基いて祭杷を行い祭神の神徳をひろめ教化育成K努めて当時の社会福州伎の為K寄与しつ』あったととはの鐘銘として書かれた唯一の存在かと忠われるとして、発鐘、鐙銘拓本共々重要文化財としての意義を一そう深めるものである。今この鐘銘は祝融の難Kあい焼欄の為、往時の明瞭さを欠〈のは誠に残念であるがなおよくその原体を保っておP禅師の遺芳を仰ぐ乙とが出来るのである。(筆者は、町商工観光謀勤務長跡寺住職)木内雅史明らかである。との神社は現在の大字、辻今宮組の地Kあり当時今宮八幡宮と称し-41-ていた。現在の硯宮神社と宮号が改められた理由については寿永年中征夷大将軍源頼朝が陸奥討伐の為め駒を進められた時たまたま途中ζ の宮に立寄られ鹿島の大神K俸げ奉る武運長久の祈願文を認められたと伝えられている。その時将軍はこの宮の祭神Kついて里人K尋ねられた所がゆ〈り左〈も源氏と縁の深きを思いその一記念として祈願文を認められた硯を宮K奉献なされたもので、今もζ の硯は神まとして宮の本殿に安置されている。元禄年中水戸黄門光闘公が地方巡行のみぎり今宮八幡宮に立寄られ頼朝公奉献の硯を見るに及び、乙れはまさしく支那に於て産する所の馬雌石で最も珍重さるべきものであD尚今宮号を硯宮と呼称す