ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

絡、号を東瀬と称し、其の徳を来D学ぶ者、延方は勿論の乙と、社潮来、鹿島、加藤洲、十三枚、遠〈は安田棟方面にまで及んだといわれ、主として八才から、十八、九才の青少年を対象としましたが、老人達も学んだと云われています。遠〈の者は、学校内K寄宿して勉強し、叉仕事の都合で夜間だけ勉持した者もあったとのととであPます。とれを見てもキ絡先生が如何に地域住民の心の底から敬仰を集めて居たかを知るζとが出来ますo先生は常に人を教えるに実践を重んじ、怠慢を戒め、議程を厳にして、た〈ましさを培ったといわれます。武、哀、烈、順、の四公K仕え在職五十年民風改まP、其の教化の実もあがP、一両国情川、草野南窓の如き学者も懇出されたのであります。袈堂学校の教塩生活も永いので、既K延方の人に念Pきったからの乙とでせうが、落からおPる俸給、僅か三人扶持の中から、二人扶持を貧民K与えて居たζとが、藩主客月附公の耳に入Pあらためて二人扶持を増加されましたが、是も貧民救済K投出して居ったと云ふととであbます。叉門人等と謀p、三百両を集め、義倉(凶作年の為めに平素から蓄えて置〈米倉)を建てては凶作K備え、それで浮いた金は貧しい子弟の学資K充てたとのととで、育英資金、奨学資金の草分けとも言えるζとでせう。尚特筆出来るととは、武家の子弟教育叉は官員登用の学校で念〈、地方有為の青少年を対象としたととで、近代的性格を持った学校であったのであります。教育の中心は儒学であDましたので、内容は主として(孝経、大学、中傭、論語、孟子、其の他等)が講述されたのであpますが、日常生活K必妥在実用教科、更K自分の好む専門教科にまで及び、医学や、武術Kまでもわたp、今の高等学校から大学程度Kまで発展したのであPます。当時有名であった津の宮の学者、久保木幡竜先生は水戸藩よD正式K委嘱を受けて月K二回潮来の宮本茶村先生もしばしば訪れ特別講義をされて居ったのであります。安政六年(一八五九)日本文の蔵書調査によPますと、儒学書、学、歴史伝記等実K三百五十四部、千九百六十二冊を数えられ、当時としては、本は非常K貴重であったので、とのととよりもその当時の内容がうかいあはれるのであPます。とのような延方学校の隆盛は藩も大hk乗気K左り、延方に走ら-53-って各処K学校を設立さぜたのであPます。幕末の頃Kは、水戸藩の郷校は十五を数えたのであPます。学校の名前につきましては、水戸藩の藩校弘道館を設立し、天保十一年藩内の学校をすべて、郷校と改称しましたので、との時水戸延方学校(聖堂学校とも呼んだ)も延方郷校と改名されたのでありまナ。水戸延方学校創設Kあたっての小宮山風軒、教授Kあたった沢田平格先生、そして平絡先生を招いた水戸屋先生、更に尽力を惜しま念かった近隣郷党の熱意と偉業は遂K後多有為の人材を育成し、近代日本家明期の舞台K送bζんだのであDます。因みK初代延方小学校長、高田定五郎先生、名医の誉れ高い沢田弘斉先生等も、乙の郷