ブックタイトルふるさと潮来 第一輯

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概要

ふるさと潮来 第一輯

ケパ窮通ズ」と意気正K衝天直ちK免租の直訴並K戸長弾劾の件を決議した覚次郎元よhy之れが-謀主である其の中の一隊即ち百余人を従ひ時の県令中山信安K直訴す可〈行装を整へ下回川岸よタ出発した実K八月二十六日払暁である。此の日折悪し〈浪一角〈風も激し〈舟航困難であった為め鹿島郡爪木村K上陸し湖岸K治うて鉾田を経てて大貫K出た時に偶々泉の大属官森昭念る人此の地を巡視して居る事を聞き好機として村の水害の惨状を具し表訴嘆願した。属官は之れを引見して日〈汝等の村は管轄中K於ても出水毎に惨害を蒙る土地で其状見るに忍びざるも今は巡視先にて何んとも致し方無〈内見帳を以て本県K願い出ず可し、但し多人数は時節柄罪を蒙る恐れありて却りて災害を重ぬるや必せhyと懇ろに論された。依って止む得ず百人中より六人を選び訴願委員とした今泉覚治郎、宮田吉衛門、茂木治郎兵衛、谷田久兵衛、茂木惣エ門、須貸与作、の六人である鼓に一同と別れ勇躍松川村を経て大谷川村よp蒜沼を渡P海老沢村を過ぎ石岡の駅K宿した。明二十七日土浦町K着し郷宿桜井氏K投宿し明〈るを待ち訴状を懐にして県令中山信安を訪れ訴状を提出し逐次洪水に依る稲禾腐敗の状況と農民の窮状とを一々具陳して哀を乞ふた県令は黙して言はず終PK除し水腐地反別明細書を提出す可き様命じた。覚治郎等は大K喜び宿に帰D六人相謀D茂木、宮田の二人を郷里K帰還せしめ訴願の願未を村民K報告し同時K水腐地反別明細書を戸長に請求した戸長は益々自重して容易K諾せず是に於て論議は大K沸騰し再び村民大会K発展し其の結果は戸長宅焼打の不祥事に至らんとする形勢に在った此の時副戸長窪谷茂衛門、下河凶良兵衛の両人は事の重大在るを一憂い、仲裁として大K此の間を斡旋して糊〈事無きに歪hJ戸長代理窪谷茂衛門村民代表として下河四良兵衛の二人が早速所要の書類を持参して先に帰村した二人の者と共に夜通し土浦K到着した。覚治郎は直ちに書類を整備し単騎県庁K上書して宿K引上町耳をそばたてて命を待った。然るに何ぞ計らん庁議は一変して此の義挙の行動を騒優視して覚次郎等六人を逮捕して獄K投じ科するに三ヶ月の刑禁制並K百打ち答刑の酷を以ってした此に於て免租訴願の連動は万事休するの止む無きに至ったoしかし覚次郎等の義憤は止まなかった。役免ぜられて帰村して後も屡陸上書して県政甚だ苛鍬議求を弾劾した。其の結果翌年新治県は廃せられ茨城県と在るや中山氏は罷免され四月Kは水害地一帯は免租と左D此の蓮動は遂K功を奏した。-57-(註記)当時行方郡は新治県K属し土浦K県庁があった。堤指築造ノ義ニ付哀願茨城県常陸国行方郡延方村民ノ委員トシテ某等哀願仕候本村ノ義ハ浪逆浦鰐川北浦等エ治フテ一村落ア為セル低湿地エシテ刺根川ノ洪水ニ当リ濁水逆入シテ田畑ニ氾濫シ水害ア被ムルテ莫大ナ斗ニ桁三年ハ無比ノ洪水ニ際シ同郡潮来外各町村長ハ人民ア率ヒ同郡鹿島郡中島軽野ノ両村役場ニ掛合タ斗-吾口司ノ左右ニ托シ日時ア選延シテ之レア拒ミ六ケ町村人民ハ焦眉ノ急ナルヲ以テ憤滋ニ堪へス水草刈リ流ニ着手セシニ図ラサリキ中島村大字息柚地先エ於テ六ケ町村人民ニ伺ヒ発飽シテ六名ア傷ケラレ旧慣例ヲ行フ能ハス為メ