ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

潮来町人|」の准移年次人口大正9 l之, 5之3人14 ユ;~. 4 8 6同日5 ユ3, 3 4 3「茨城県人口g 0年のあゆみ」統計篇κよる(一九一四)次K大正から附和訓期Kかけての郷土の世相の主なものKふれてなく。まず大正三年に潮来あったパス路緑は、鹿島闘が開坦、米更に佐原山間が同通する念ど鉄道との連絡、道路網の整備とあいまって、次第K拡張整備され、従来からの水上交通Kとって変わるように左ってくる。次表は当時の潮米町の車の極て鹿島、婦を表示したものであるが、との表から明治期K出現し、唯一の乗物として長〈親しまれてきた人力車も次第K 大正中朗よりの自動車の急激な普姿を消し、及と牛馬車、自劫車の町Kはじめて返灯がともされている。とれは地元の塚本正之助等が桶荷山麓K火力発電Kよる電灯会社を設立(明治四五年着工)し、それが営莱を開始した結果である。との会社は当時行方電気と称したが、社名はその後幾一度か改名され、現在の東京電力κ蚊収されていく。次いで大正五年Kは制来掛便局が電話美携をA開始して町内でも一一一ニ名の加入者があったとと。-史K同八年Kは布川誠太郎Kよってはじめて町内K乗合自醐卓が通行されるようKなった。当時の路緑は延方、高浜同で、との自動車会社は潮来合同自動車噸会と称したが、ζれは出和六年K至り鹿島参宮鉄道会社げ仏政収合併されるものである。同当地方の重要な交通磯崎で附和凶年の神宮橋架設によって糊一年水郷大備の完成Kょっ出現在どにも時代の推移をみるととができよぅ。五、戦時下の郷土大正ー附和初崩の車の樟鎖車\僅年\度\|| 旭3 大正5 大正ユo大正ユ4 昭和5 H白木口ユo人力車ユo 工ユユユ10 4 之自動車49 マ2 工84 305 3マ2 62之自動車、、2 6 工工19牛馬車、、2 5 、工3何車! 152 lマ3 工5之工63 168 204(|白潮来町事蹟簿による)-14ー九三一)九月の柳条縛になとった鉄道帰依事件を機に、満洲事変が勃発してからの一五年閣は、日本は戦争への道を歩み続けた。大陸への日本進出は中川回の排日蓮動を激化させ、昭利六年附和二一年九