ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

七月の藍樽橋事件から支捕挙変を引起し、中凶は全面的な戦争へと突入した。七)日本ととの戦争の拡大に画家総とも念って国内は戦時体制へと切りかえられ、動員法が成立し、画民の生活は次第に統制の枠kbしとめられていった。また政党も解散し、郷土Kも大政翼賛会が結成されたり、隣組などを過して「新体制」と呼ばれた戦時体制が強化された。ζの体制は教育面では国民学佼令となって公布され、明治の学制より続いた小学校の名称は一焼止され、自民学校と改められた。その教育は「呈凶の道」を中核として、教育の内谷方向を改革し知徳心身一体の繰成を且じて強固な困民的性倍を形成させるととであったむそして益々困際的K孤立した同本は同じ方向を辿る独伊と三国単事同盟を結び、遂κ出利一六年ご九四一)一一一月八日太平洋戦争K突入しまったのである。との保な状勢下K郷土大生原地区Kは附和一七年(一九凶二)鼠ク浦航空版北浦分遣隊(後K北楠航空隊と改称)が設立されて、軍事基地と左-P機密保持のためとの地域の醤戒が般しぐされたり、地元でも航空隊吻資制入組合が結成されたり、多〈の民家が隊員K間貸しするなどその影響は大きかった。戦時下の生活Kついては、戦争の進展Kともなってあらゆる生産は軍需生雄へ動員され、潮来Kも潮来航機製作所が設立された。労働力の不足を補うためK、就学中の中学生、女学生、未婚の女子も到労報困隊、更Kは女子挺身隊として動員されJ阜需工場K、農村K出て生産に従事した。衣料をはじめ、一万消貨物資の欠乏も甚だしく石けん、ローソク、マッチ、地下足袋女子の服装男子はカlキ色の国防色などの生活必需品はすべて切符配給制で、は古着を更生したモンぺ姿、にぬりつぶされたスフの固民胤であった。との当時郷土でどの程度の兵士が出征したか正確な政は把握できないが、「家庭を守るものは老人と子供だけ」という状態でめったから、働きざかりの殆どが軍人または山車両産莱にとられ、そのため農村は極端なトBA労力不足khuちいったばかりでなく、農機具、化学肥一料左どの不足から、生産量は著しく減少した。しかも農産物は供出制度で各地区毎K噌産班が組織され、割当てられた目標頒の供出を完遂する義務を負ったため「米を作って米を食えず」の状態であった。また戦周が行づまると、米械による本土空投も激化B却の侵入法去が鹿島離上空を通過したため、郷土は爆撃の被害ζそ左かったが、し日K欽回は民陥K,抱られた防空壕での生活を余儀なくさせられたものである。しかしζの憾な状態も昭和二O年ご九四五)八月