ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

て徒党をを半いて常総地方を掠略した。そして常陸国?じじ工うくにカ府Kあった仰父、常陸大欲平国香(良望とも云う)を石岡K攻めて殺した。国香の子、貞盛は京に走って朝廷K訴え出た。よって朝廷は彼を罰しようとしたが彼は、京都に赴き内情を散かげ札したため一旦は許された。越えてえ訴」ニ年将門は、突如、常陸国司の藤原惟畿を攻めて捕虜とし、ζれを契機K常陸、下総、上野、下野、武4叫一円を侵略した。そして関東全土にその勢力を張b、下総国猿島郡岩井(損、茨城県猿島郡)に新朝廷をつくって’r岐武百官を置いた。「五口れζそは平親王将門左タ」と称えて帝位を宣した。「国家同びゃく以来、叛逆甚しきものるらず」と、征夷大将軍として藤原忠文K命じ、六阿部王経ム(清和源氏の始祖)、藤原秀郷等の連合軍によって平将門は滅ぼされたのである。五口が常総地万には、将門の伝説や遺跡が数多く存在してなb、とれらの俗説よhy見ても、彼将門を悪説す。。。むしろ人心を収らんしているととから劇延大いげ仏議き、る伝説もなく、原氏K崇敬されていたものとすら考えられる。ただ、わずかに成田不動尊の縁起のみが、将門調伏、もと幡念の山叫によって寺運興隆の凶をなしたと伝えられている。将門の旧領は寓陸大的ザ氏が脳承し、晶、稲敷一帯K栄え、下総一帯Kは平良文三子)を始組とする千葉氏が権勢を誇夕、下野に掛須武蔵K畠山、相模に三浦、和田氏、北条氏となって関東一円は桓武平氏の金城湯地として栄えていったのも将門の乱K得たものの一つと言えよう。わが行方、腿(高見王の第十節源平二氏と京国手な平安朝の末期よb名実共に実力を具えた武士出は、清和源氏と桓武平氏である。源氏はもともと西国を基盤として栄え、平氏は東国MKM山って紫延を示し、のち平氏独撞場の兼自K進出し一Fょうたは天腿の乱の討伐の功によって、源経基が武蔵守・鎮守府料一阜K任ぜられ、その子M怖が闘東K屈を構えへ源氏が碓凶たる勢力をきずいたのが源相信である。千葉氏三世平忠常が乱を起した(一O二八年)下総国大友(今の近川町台地)kbった忠市は、朝廷に納める租税を送らず、庸調を掠め取り、めJまつさえ国司の命に従わず、長元元年六月ついに国司を攻めて平惟忠を殺すなど横曝を極めた。ときに甲斐の国守であった源頼信(甲斐源氏の祖)頼義父子によってやっと平定するζとができた。