ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

事務も岩々柑辺び村政総てが整って半I相川県事な村になるζとが出米たのであhvo小')j 主地然る大切生治、九年九月に左り区制が布かれ延方、水原釜谷、大貨の六ケ村を以ーて第三大区第四、区と定められ、第四小区政所が延方に巨かれ、其の戸長を命ぜられ、文幾何もな〈して区長を拝命した。引治十一年米に町村叫が布かれ蛍十二年一月始めて戸長選挙(官選戸長が出止)が行はれ、文北ハの選に当-P改選則十凶年末迄其の任K当られた。次期戸長選挙にあタては甘からの反対派であった副戸長に候州者たるととを訣った。比の決意を予め一般κ示すため、戸長以任刷尚了の目、役場内K小宴を川聞き、其のMK於て戸長在職中尉ひ居った羽械袴を副戸長一名K与へて一君流しのまま帰宅した。家人は此の援を見て怪んで其の辿由を問うたが、実は所々と朴合えたため、家人はそれは由白い事をしたとよろζんでくれた。弘嵐社り設立、一一部の事業として各町村長が委員となって弘崖社なるものを設立共の役員選挙で私外大場制貨一名が委員長兼総代に選出され、字六十以及び大生原(九百七十時町歩)凶叫するζとが決せられ、原野の借入れ申請手続、接続地(二十五ケ村)の交渉、凶墾作業の手配等で東一弁西走夜を日K継ての多忙を極めた。然るK閥げ叩事首一明は地仙の話落Kよって大打時十を被ク達成K至らず一時中止する事Kなった。以上祖父(凡翁遺稿よD) 祖父は出貨の一発の砲声出川三-白年の長夢を破った固としても紀念すべき忘れがたい話氷六年の生れで、以叫変革の渦中で少青年期を辿し、公私共苦労苦難を克服し、時勢時流に順応出来得たζとは捕に恩師榊原式也先生の黒川そのようしさを得、人間形成への地固たる基地づけがあった賜と思わJいる、祖父は先生を非常K域ポされ、常K泣影を机上κMhJ、朝夕-礼拝するζとを日謀として欠かされなかった。詩や和岐を作hy書き綴るととを楽しみにしていた様であったが、文章名句でも名文でも念い他山の石として御ト会は亙って出む判説下されば幸と仔ぜられる。惜政下の村政延方地区も湖来、一伴知同様、一抗措制度下では、親雄水戸雄政下に属し、都挙行の支配下に山一息かれ、門地卑しからさる者や、地万川開伯に功績のあった者から、名主(庄屋)組組、長両陛者が仰せつけられ、中核として村治K当たったu地万行政の当地区ω長-白佐万岐見五郎ヱ門(州崎)今泉新石エ門-〈東)叫れ凶郎エ門(東)小峯依エ門(西)柏崎刷左エ門(新吉)大久