ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

入れず、十数日に及び、篠塚、内田、関戸の三氏と石川の稲垣示全伴本意を告げしととろ一名だけ入門を許され、関戸は内閣の応接室に控へ、書記官K対し国家の重事K闘し三大臣K面陳ぜんための参上の旨を告ぐるや書記官再び出て来Dて大臣御用繁を以って面会し難しと、関戸重ねて事体極めて重大なタ強て大臣K謁見し度と閑を待つζととし午后四時を過ぐ、衛兵来Dて関戸を擁して門外K逐ふ。ととκ於て新潟山際(七司)、岡山加藤(平四郎)らの発議で向島御前の叫郎氏密会、茨城、群馬、秋田、石川、新潟、岡山諸県の委員十八名、更K魚十の後楼K盟約を交して地方の心力を収めるζとに決しでかくて各県の請願委員が余憤ももたして帰県するや心力を地方の団結K注いだ。西国寺公望帰朝し、松沢求策、松岡正久と謀って東洋自由新聞を発行し、中江兆民の徒、ルソlの民約説を講じ、政府反抗の気高まる。水戸市の北辰社に於て組織変更し、水戸法学館づけ熊谷平三が館長、関孝夫が副館長とな夕、関農夫雄、飯村丈三郎、仙波兵庫、岩崎平太郎等加はって水戸新聞を発行し、館員三百余名K及んだ。行方都吉川村の奥村亀三郎、小堤通雄、小沼八十八人見亀太郎、宮門鹿助、白幡郁之助等発起し談交社を創設、同園三百余名。潮来の磯山清兵街等亦相議して公益民会一乞故めて研法社と称し、法律研究に託して有志を結合し、香取喜七、(公立学校教員)宮内文三郎、長峰静一等父兄を誘導して気勢を挙ぐ。三、加波山事件明治十七年春の自由党大会で青年の文学上武道議成K力を入れる方針がきまり、本件K於ては笠聞の文武館、下館の有為館が闘かれた。有為館の館長は富松正安で、剣道師範が玉水嘉一であった。富松正安の始組は石川俣の家老牧甚五丘ハ併の弟源三-衛門叫が百五十石、子小隼人故るDて勢州議野…渚士安。つ5達治を養ふて家を嗣がしひ。魯哉と号し学問を以って一著はる。正安の父で、嘉永二年巳酉九月十三日生る、正安幼名を鶴雄と呼ぶ、人となhy和気温々夙K大志あ夕、一回傑荘重、小学校の教糊にあ夕、教育は人材養成にありと子弟の誘披K勉む。傑く自由民一催を尊亙し、立憲制度の建立を痛感し、仙波兵岸と謀夕、昼亨、大井憲太郎K就いて出貨を求め、小林樟雄、館町芳之助磯山清兵衛、岩沢仲通等と共K芝新桜出町の一巨屋を集合館と呼び革命の密謀此の川崎よhy品位亡tしとの挙である。十六年十一月正安は、組沼九八郎、仙波山口重情、