ブックタイトルふるさと潮来 第二輯

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概要

ふるさと潮来 第二輯

四一年九月三O日l延万干括建設事業完了Kよb刷鎖叫略以上の経過を辿って出来上った干佑ではあるが、大事業には色々思はざる悼審或は副産物は付き物のようであるが此処では前者を一、二拾って見ょう。其の一つは陥和三十凶年頃建設省に対し公有水面埋立権の申請K当って、一桝按町村の議会の同意を得なければならなかった。所が時の町長川一一小沢義次郎氏其の後出品姑建設K当っても全国的K話題を撒いた人が完ぽ後の町村界問題(配分もからめて)を取揚げて議会をリードして賛成多叔で埋立て反対の決議をしてしまった。汐来町に言はせろば漏れ手K粟の言い分としか出けないものであるb発是して同も叫い干話事業所は当初から厚い単に突き当D世一引を煮やし幾度か事業所を引上げようかと考えたζともあったとのととであム然し宛ら胤島町にも何剖かは賛成者もあったので、汐来町としても扶手併倒して出られる筈もな〈、あの手此の手を尽した。出島町執行部並K議会に対しての憤以は実にやるせないものがあ夕、汐来町崖民と胤島町一副の嵐民約六OO名にて干尚矧凶同出(完成後の〔配分に係し鎖州の櫨となった)を結成し初代会長に秋山泰助氏が退ばれ(中途で物故して次陀山沢伊エ門氏それは此島町である。が会長になった)一雄日一胤島町役場κ黒沢町長κ対し、或いは反対議員の自宅K対し数十名宛κ八万れて説状デモを棋D返した。流石の操沢町長始め反対議員も進退谷まタ遂げ札反対決議を撤凶したのであった。其の二は完成後の配分であるが最初の目標並κ崖業基本法とは凡そ似ても付かない結栄となったりが進憾である。前にもふれてるが干拓則ぱ同盟の出発な,店叫が事業促進になったζとを川黙視するdkもいかなかった県の一配分委員の苦肉の結栄とで(凶十二年肌分完了)も-=一口うりか。かくして約十数年の蹴月と総工費八抵六千万円を費十し総面楯二日六十八ヘクタール耕地約二百十八ヘクグイlルが出来上った延万干括も時代の変握とは一吉い昭和凶十凶年迄は奨肪金を出して増産を唱えてたものが四十五年からは奨励金を出して減反或いは転作を描噂する国の崖政K変って来た。ζれは日本が高度経済成長の影出自に依る崖政の変化であって、例へば企業の言う一時的な操業短縮的なものでな〈て永久的なものKなhJそうな気がしないでもない。朝野をあげて苦心惨婚して出来上った延万干佑の行方は姐何になるのだろうか。(筆者は郷土史研究会々員、元潮来町助役、総合農学学会理事)