ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

大生小学校が開設された。明治十九年二八八六)κは連合戸長役場制度実施によって水原小学校は、築地小学校κ合併されたが、通学遠距離のため、翌年には水原に、築地小学校仮分教場がhuかれた。明治四十五年(一九一一一)一月には、水原の小学校(大生原第二尋常小学校)と大生の小学校(大生原第一尋常小学校)と合併され、大生原尋常小学校と改称した。以上旧町村Kわけて小学校の創立と、どく一部の変遷を記したが、ζの閉それぞれの変遷は各校さまざまで、重複するよう左学校施設左どは割愛した。太平洋戦争のはじまった昭和十六年(一九四二四月、国民学校令施行κ伴って、尋常小学校は国民学校と改称され、戦時体制下の教育の中に入ってゆ〈。昭和二十年ご九四五)八月終戦。九月κは文部省から新日本建設の教育方針が発表され、十二月からは神道、修身、地歴、左どの授業が停止された。そして昭和二十一年二九四六)学制改革のため国民学校の称号は、また町村立小学校の名称κかえったのである。さらに昭和三十年(一九五五)町村合併Kよb、旧潮来町、津知村、延方村、大生原村が一つに左b潮来町誕生。それにとも走って小学校の名称も、潮来町立して、潮来小学校、同大洲分校、同十番分校、潮来町立津知第一小学校、同津知第二小学校、潮来町立延方小学校、同徳島小学校、潮来町立大生原小学校と念ったのである。中学校昭和二十一年ご九四六)戦後の教育を刷新すべ〈、教育刷新委員会が設置され新しく六、三、三、四制、即ち小学校六年、中学校三年、高等学校三年、大学脳年、の制度が建議され、翌二十二年(一九四七)五月新学制施行によって、各町村毎に小学校κ設けられていた高等科を廃止し、新制中学校が創設された。潮来町κは町立潮来第一中学校(旧潮来町及び津知村の生徒通学)と町立潮来第二中学校と二校中学校がある。第二中学校は昭和三十七年(一九六二)延方中学校と大生原中学校と合併し創立された。通学距離が遠いためしばらくは、第二中学大生原分教室と同徳島分教室とがあったが、ζれも翌三十八年Kは廃止され、第一中学校は天王様横の台地κ堂々たる三階建鉄筋校舎がたてられ、第二中学校は延方な諏訪様横の広地κ同じく鉄筋三階建の校舎をもち、体育館、プlル等の施設設備のととのった学校と走った。昭和四十三年ご九六八)までの間κ完備したものである。。四、-4一