ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

。五、高等学校潮来町κは高等学校が一つある。県立潮来高等学校で、現在は全日制普通科、商業科、家政科の綜合高校である。その歴史の古さを思う時、潮来の先人達が、いかκすぐれた人達であったかを痛感させられる。純農村であり左がら、早くから子弟の教育を重視し、特K子女の教育κ目をつけ、学校を聞かれたζとは、茨城県内Kもその例は少左い。明治三十八年ご九O五)六月、地元の有志達の私校として稲荷山の上κ仮開校されたのが現潮来高校の産戸であった。地元有志の寄付金主町からの補助金で、学校は誕生したのである。翌三十九年二九O六) 十二月には、稲荷山の学校を町立技芸学校として設立すべ〈町議会で決議し、文部大臣κ設置認可を申請した。明治四十年(一九O七)七月九日文部大臣牧野伸顕より認可され、行方郡潮来町立技芸学校として七月二十五日正式K開校したのである。潮来高校では、文部大臣認可の日七月九日を創立記念日としている。さてζの開校にあたって募集した生徒数は本科(高等科二年卒)八十名、選科(尋常科卒)二十名であった。明治四十三年二九一O)Kは校名を潮来町立女子技芸学校と改称、学則の一部改正も認可されて、本科へ随意科目として、教育科と唱歌が加えられ、女子指導層育成の教育が実施されていったのである。昭和九年ご九三四)三月十日、文部大臣膏藤実より学則変更を許可されて茨城県女子技芸学校と改称。昭和十三年ご九三八)には稲荷山から、現在県の土木出張所のある地κ移った。ついで昭和十七年二九四二)校名変更を認可されて潮来町立高等女学校と左り、昭和二十年(一九四五)κは、時の町長大久保氏をはじめ、町内有志の運動Kよって、県立昇格と在った。昭和二十三年こ九四八)学制改正によって入学資格は新制中学校卒業と左b、四月、校名は茨城県立潮来高等学校と改称され、全日制普通課程高校として出発する。爾来、現在まで商業課程の増設(二十四年)定時制課程新設(同年)家庭課程増設(二十五年)別科増設(二十六年修業年限二ク年)友どあり、定時制や別科は後K廃止されたが、男女共学の高校としてあゅんで来たのであるが、校地はせまく、施設設備は県下最下位であることが指摘され、昭和三十九年ご九六四)施設整備促進期成同盛会が発足、翌年κ は移転新築期成同盟会と改称され、延方地内水戸藩延方郷校跡を校地と定め買収。昭和四十三年ご九六八) 十一月六日、全校内田山新校舎K移転完了をしたので民d