ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

ページ
15/104

このページは ふるさと潮来 第三輯 の電子ブックに掲載されている15ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

ふるさと潮来 第三輯

現在の潮来町の義務教育はそれぞれの立場から、実施されているといえよう。温故知新、あらためて古い潮来町の教育の変遷を思う時、そして先人の偉業を考える時、人を作るということが、如何κ至難なものであるかを痛感する。の跡をしのび、常に新しい時の流れにシくれず、〈ものを見、判断し、実行する、ょく先人正しそしてわが潮来町の一--重谷沿革史二重谷沿革の概要二重谷は、今から約五百年前応永の頃から暴風雨のある毎κ、両毛(百冊)の諸山の土砂が移しく流出し、殆ん毎歳其の両岸K汎濫する状態であった。徳川氏が江戸に明るい将来を見となし、今教職にあって、児童生徒の教育κあえられる先生方κ、心からの声援を卦くりたい。次の世代をに左う潮来町民は、あ左た方の手で育てられるのであると:・・。限られた紙数でまとまりのないものではずかしい次第であるが、一応筆をなくととにする。桜涯(遺稿)幕府を聞くに及んで、其の洪水の惨害を防がんとして、江戸川を開通し関宿κ杭出しを設け、逆川を堀撃して、鬼怒小貝の両河川の水流を逆行せしめ、又、布佐台ときおろし布川台との地を中断して木下に至る一流中利根川を新設した。其のため上流よb押し来たる土砂は益々多〈、遊泥の流海κ沈澱するζと最も急速を加えた。天正十八庚寅(一五九O)年石田駿河(主馬亮)江戸崎城主土岐氏の支族『又家臣でもあった。)今本新島村(現在東村)上島石田精の始祖水陸田を聞き上島先づ成就した。とれより先板来の地先κも布洲消が形成されて二重谷の基礎と左った。古の流海は流沙の沈新荘-7ー