ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

れたのであろうと云はれている。はじめは家または「ムラ」の宝として代々伝世されたらしいが輸入や製作が多〈在るにつれ、個人の所持品とをり、生前愛好した物として墓K埋められた。その後、種々の模様を鋳した大小様々左鏡が輸入された。その中には凹面鏡、凸面鏡、平面鏡がある。九かめ州方面κ多い弥生時代の墳墓の聾棺からは、数多〈出土している。特K有名左のは福岡県飯塚市立岩遺跡ゃ、福岡県筑紫郡春日町須玖遺跡等である。出土した聾棺群からは数十枚の鏡が発見されている。立岩遺跡の第十号聾棺からは六枚の鏡が出土し、何れも中国前漢時代の鏡であった。その中に重圏文清白鏡があるが、その背面には銘文が鋳出されている。楚の賢臣屈原が、悪人のざんげんによって都を追われ、べきらの水に身を投じた故事をうたったものである。ζの様K時代とか年号を鋳出した鏡は編年K重要在役割を果すわけである。支那の古鏡が日本に輸入され、それが弥生時代遺跡ゃ、古境時代遺跡から発掘された数は枚挙に暇が左い。ζれを一枚一一枚考究することは専問家の領域左ので省くζとκする。三世紀の頃、日本の耶馬台国女王「卑弥呼」が柚酬に朝貢し、銅鏡百枚を貰ったことが、貌志倭人伝κのつているが、京都大学の小林行雄氏は、発掘される三角株神獣鏡は、その中氏入るのでは左いかとの説を立てている。本誌編集委員宇野沢氏が発掘に参加した小見川町城山古墳発掘の際K三角株三神五獣鏡が出土している。ζれと同泡鏡が京都府大塚山古墳から出土している。同泡鏡とは同じ鋳型で作られた鏡のζとである。千数百年前の古墳時代の同じ鏡が現代に在って、京都と小見川から発掘されているととは、吾人に何を語っているのであろうか。大和朝廷の草創期に、京都と小見川K何等かのつ左がbがあった。〈だいて考えれば、大和朝廷の臣の一人が鏡を王の象徴として輿いられ、東国小見川方面K来b、その地方を平定し、豪族の租と4はったと考えられるし、また小見川に古くからいた豪族が、大和朝廷に臣事するしるしとして鏡を貰いその地方を平定したとも考えられる。もう一つの見方は、宝物である鏡を京都の豪族と小見川の豪族が、物々交換をしたとも推量される。考古学は推理の学問である。考古学者でも何れが真実在りやの謎を解くζとは左か左か容易で念いらしい。四世紀頃、大和地方で支那の皇帝の墳墓を真似て高塚古墳が築造された。その中の前方後円墳は日本独自の型式である。はじめの頃は地方の豪族の奥津城として雄大左る墳墓が多い。仁徳陵、応神陵などはその最各地の古墳から-56ー