ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

られる塾(寺小屋)芭蕉が門人の曾良「自準亭」κ到着したのは貞享四年が開かれていた。(ソラ) と宗波を連れて潮来の二六八七年)晩春であった。道悦の俳譜の門人κは辻村の兼平道敬を始め、多くの門人達K迎えられた芭蕉は晩春より初秋まで潮来κ滞在したといわれている。芭蕉が潮来滞在中の作品である一「三吟連句」は、芭蕉と曾良が鹿島よりの帰路、潮来の自準亭K到着したときの作品時帰路自準亭κ宿す”と題し、(わら)干す宿ω友すずめの指杉桃青曾良(ねぐら) せよ藁松江(/)あきをこめたるくね(垣)月見むと潮引き登る舟とめて芭蕉(芭蕉の正式の俳号は巴蕉庵桃青という。)芭蕉を迎える道悦(松江)の句は。,藁を干すような組末念我が家だが、・9明かそうでは念いか・・・・・・”友よ大いκ語と云う歓迎の意味の句であhy。芭蕉(桃青)の返句は”秋を迎える挿木(さしき)がよく伸びて心よhJ私たちを迎えてくれている・・・・0と云う挨拶の句で、松江と邑蕉の二句が連句と左っているもので、次の”月見むと”の曾良も連句の前句で、返句が詠まれであったもので、後句は遺失されたものと思われる。したくね(垣根)(/)杉-69-当時の俳諮は連句を一巻といいこ句を一組としていたものである。で「三吟連句」は芭蕉の実筆といわれ、現在潮来町二丁目長勝寺境内と、小川町の天聖寺墓地(本間家三代より小川町κ移住) κ同筆ω句碑があるo(長勝寺の句碑は昭和の初期石工金原明普氏の施工ζUコ