ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

紹介茶村塾生の水戸紀行文まえがき幕末の潮来が生んだ偉大な儒学者、宮本茶村Kついては、故新荘直潔氏が執筆された「茶村先生伝」K詳しい。この文中κ茶村の聞いた「恥不若」の塾名があり、著名左門人として桜任蔵、竹内百太郎、伊能節軒念どの名が記されている。しかし郷土κ多数あった茶村の門弟κついては、現在あまり知られてい念い。たまたま麻生町郷土文化研究会員の前島豊司氏が所蔵する文書の中に、題名は左いが、茶村塾生の水戸紀行文ともいうべきものが発見された。内容は塾生の吉川友三が友人数名と共κ、安政二年ご八五五)波原で催された水戸の追鳥狩(軍事訓練)四月五日κ潮来を舟出し、十四月κ仙を見物するため、一日κ帰塾するまでの一週間の記録であるo 文中κ郷土の先人の名もみられ、当時の潮来から水戸への経路や、往復の途中κ立寄った名所旧蹟、各地の風景、水戸藩軍事訓練の状況、水戸市街の景観念どの描写が巧みで興味深いものがある。しかしこの紀行文は漢文体で綴られ、文中κ漢字の造詣が深かった元難解左語句が多かったので、櫨敏雄田研究会員の故山野清作翁にど指導いたいゐき、読下し文K直したものである(但し印刷の関係でやむを得ず漢字をか念K改めた箇所も多い)口その後間も念〈翁は御逝去左されたため、この念仕事が郷土文化研究会κ関する、最後のものであったとも考えられる。ζ の様在意味からもこの作品を第三輯K紹介させていたい込き、併せて翁のど冥福をb祈bするものであるD-73-エヅ安政二年乙卯夏四月七日水戸藩城ノ西仙波ノ原ニ大閲ス是レヨリ先所在籍々(云いふらす)トシテ相伝へ往テ観ル者其幾千人ナルア知ラサル也余時ニ業ヲ宮本茶村先生ニ受ク其ノ塾ニ在リ塾之諸生モ亦将ニ意ショウスナワニ往カント相共ニ懲ロシ乃チ本月五日ア以テ諸生八人トモヤトツコウチュウハイト興ニ舟ア蹴テ行厨(弁当)ヲ膏シ書冊ヲ載セ巳ノ牌タマタマ(時刻)ニ潮来フ発ス適好晴便風ニ帆ア張レパ舟快セγ へキミナギトウ走筒(矢)ノ知ク白湧キ碧額リ罵声泊々タリ、是ニ於ヒライY ヒネヨモギヨテ書ヲ擁キ韻アル蓬ニ侍リテ長吟スレパ青山送迎オモムシテ我輿ア助クルニ似タリ是ノ日遠遁水戸ニ赴ク者チF ロ.キ続々絶へズ紬蝿相クミ午後鉾田岸-一-品川(舟をこぐ)