ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

在世界の一三0か国中Kはタンパク質の必要量一人一日九0グラム)を摂取でき左い国は九0か国もあり、わが国もそのうちK含まれているという。今や先進諸国では、産児制限や家族計画の思想や技術がか左り普及してなり、むしろ人口の老令化が問題となってきているが、産児制限pqg口自可巳)が社会運動と左って世界各国K普及していったのは一九世紀半ば以降のζ とであり、家族計画止日々12EMじという言葉がはじめて登場したのは一九三0年代のととであった。それまでのわが国や中国の人口制限の方法Kついてみると、避妊や断種左どの受胎調節という予防的なものよりも、むしろ堕胎や殺児あるいは遺棄のよう念事後的左手段陀よって出生制限が念される場合の方が一般的であった。ととではわが国の「溺女」(大人中国の「間引」について簡単に述べてみたい。一「間引」わが国でも殺児は古くから行左われ、六月晦大政人胡久美」κ解され、について『延喜式』の(み念っきっζ もりのななはらえ) κ「白(しらひとこくみ)「白人」とあるのは殺児の意味とは生児の面κ紙布を貼って白〈「胡久美」とは総するζ と(白くするとは殺すの意)上田秋成の『胆大小心録』K 「六月の殺するζ とで、大放にしら人とくみとは、生れてはとて、今も辺土の氏子が、たんとうみの子の面K紙布をはりてしろ〈するを、しろくしてしまやったかととむらふとふ也とぞ。ζ くみは子をくびりとろす也。かかる後世にもまだいと記されているととがとのきとどかぬととあるかは」事実を物語っているという。「間引」という場合は、左われた堕胎と殺児を指している。医術の発達した江戸・京都・大阪左どをはじめとする都市に多く、出産前に胎児を処理する方法で「なろす」左どといわれた。一方殺児は央羽・関東・九州左どの後進的な農村地帯K多く、圧殺左どの手段で出産後に新生児の生命を絶つ方法で返す」「戻す」しかしなもに江戸時代に行堕胎(白g吋けド自)は-78-「間引くと左どと呼ばれていた。元来競菜栽培上大根や菜左それが転じて、胎児や新生児を人為的に殺してその数を制限することで、『磐城志』K 「子間引は、うろぬくの義左り」とある。古代スパルタやチベット左どで行左われたとかいう。優秀左子供だけを育てあげるための間引、す左わち強健左生児を残して虚弱児を除くという本来的左意味を失念たん左る生活苦からの口べらしのための悪風と化「間引」という言葉は、どをなろぬく意味であり、レ、、してしまった。