ブックタイトルふるさと潮来 第三輯

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概要

ふるさと潮来 第三輯

二七七二l八O)年聞の水戸藩の地誌家長久保赤同藩の人口制限問題について「昔ハ為ン方ナキ者パカリ此ノ事アリシガ、近来ハ風俗トナリテ、少シモ不仁トモ思ハズ」『拐尭談』というようκ間引が風俗化し、一八世紀初頭(享保年間一七一六1 三五)まで増加を続けた人口が以後停滞し、ニ、八OO万から= 一、000万人の同を停迷するに至った直接的左原因には、飢鍾・伝染病K加えて、間引が大き左ウエイトを占めていたと考えられている。比較的医術の発達した都会では、武士や町人を問わず、堕胎が盛んで、不義私通などによるものも多いといわれ、農村の殺児とは質的左差異を認めている学者もあb。一般に「中条流」とよばれる元来産婦人科医であったものが、堕胎専門医を指すように左った。川柳『柳樽』左どにもその繁昌ぶりがよくうかがえる。中条でたびたびなろす陰間の子安永水は、中条に行くより外の事で左き中条へ五ツ目置いて同じ顔なそろしき中条金を貸すうはさ中条はむごたらしい蔵を建ていつどう来るか中条は蔵を建て罪念事中条蔵を又一つ一方、農村では生活苦から多数の子供を養育でき左せたり、生まれたばかりの子供を膝や蒲団で室息死さ石臼の下で圧殺したり、あるいは絞殺、土中いため、生き埋め左どの方法によってやむ左〈行なった口べらし(口数制限)が、一八世紀半ば以降は罪悪感を離れて風俗化し、(貧窮農民、不義破倫)奥羽・関東・九州をはじめ、ほとんど全国的K行なわれている。間引は地方によりいろいろな陸語・僅言。方言で呼ばれてなり、公然の秘密となっていた。戻す・返す・生み流す。塩くみにやる。二三男女は鰐の食物(東北地方)白子(陸中地方)つきや(掲屋)うすにわ(臼庭)などとよばれる米つきをする場所。またはその小屋に埋(伊賀地方、める。蓬摘みKゃったとを意味する) 山遊びにやった女の子であったと(伊賀地方、男の子で一人置き-79-あったととを意味する)間引)へし児(鹿児島地方)なしかえす、鍬取Dにやる、山芋堀りにやった、一丁越(佐賀地方、その他、はぶ〈、呼ばれた。洗子、また堕胎も、かえす海に出る、児かえし、児なろしなどとhu っかあらす(山梨。長野)(茨城)える(仙台) (茨城) ζ かすばれていた。なよそ当時は農工ともに手労働であったので、労働力として子供は多いにζ したζ とはないが、くて育てられ左かったわけで、なとす、山稼にやった、念どと呼そσコ間引の盛行は捨子や身貧し