ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

茨城県潮来町狭間貝塚縄文早期茅山式土器文化期の遺跡であり、東京帝司大学人類学教室編集Kよる「日本石器時代人民遺物発見地名表」第四版(大・六) K 「常陸司行方郡潮来町ハザマ貝塚」と掲載されているのがζ の遺跡わたくしは利根川下流域になけかねてからこの行方郡方面本貝塚は、Kあたるのであろう。る石器時代研究のなかで、の遺跡や遺物をみて訟きたいと考え、月麻生町、潮来町、鹿島町の石器時代遺跡を探訪したが、狭間K赴くζ とができ左かった。そとで四十二年五月寺門義範氏の案内を得て本貝塚を訪れた。遺跡は東と西の二個所K員殻の分布をもっ比較的規模の大きなものであり、東員塚のある斜面には一部貝層の露顕した個所もあるが、他はあまり掻乱された形跡がなく現状が維持されていることを知った。こうした踏査にもとeついて、翌年六月六1九日Kわたり、西貝塚の第一次調査を実施した。遺跡を含めた一帯のE陵は、松を主にした山林地域で、見通しもわるくトレンチの開設にも制約をうけたが、昭和三十二年十それでも樹聞を通して発掘を早稲田大学教授西村正衛進め見事な貝層の様子をあきらかKするζ とができ利根川をたo 貝塚の内容的性格とその立地からみて、越して対岸部の千葉県小見川町の早期城之台をはじめ佐原市の諸貝塚と相対し、内湾的文化領域の一方の主要地点を占めていたかの如〈うかがわれる。とうした点からみて、ζ れから先の調査Kも大き左期待がかけられるのであるが、最近鹿島工業地域やそれと関連する都市化の開発によって影響をうけやす〈在った場所でもあるととから、保存K万全の対策を打立てる必要性も痛感される。諸般の情勢からして、本報告をなんらかのかたちでなとない、大方の認識を得たいとも考-9 1ーえ今回取敢ずその概要をとりまとめた次第である。各方面のど協力を得たが、本文を書くKあたって、発掘に所有地を快〈開放され、また遺物の寄贈からその他諸般のことでご配慮をいただいた地主の小里甚衛門氏、また宿泊khv世話を煩わした高森良契並びに高森良昌両氏K厚くな礼申し上げるとともに、発掘に遺物整理Kあたられた本学の考古学研究K携わる関係各