ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

第1図遺跡附の地勢×印は狭間貝塚また遠路ど来跡をいただいた吉田米蔵夫妻K感謝の意を表する次第である。なな学術上の面で、C十四年代測定khvける浜田達三氏、遺跡分布Kど協力を得た寺門義範氏、岩石たよび遺物遺存体の鑑定khvける本学坂幸恭並びK金子浩昌両講師Kあわせてな礼申し上げる。位、遺跡附近の地勢本貝塚は茨城県行方郡潮来町狭聞に存る。遺跡のある行方郡の正陵は、標高二十五1三十六mの高さをもって北は筑波山塊K接続し、南は西K震ク浦、東K北浦を臨み細長く半島状にのびて、利根川沖積地K張出して終っている。丘陵の各所にはロl ム層を浸蝕した大小の溺谷が発達し凹凸、届曲の多い複雑在地形をつくっている。利根川沖積地K臨む潮来町から牛堀町Kかけての丘陵は、行方郡丘陵の南端部Kあたって念り、主東は鹿島丘陵、南は千葉県佐原市の下総丘陵と相対し、北浦と震ケ浦の入口を約したような場所Kなっている。とうした地勢の在り方から推して、潮来町が近世の利根川の河川交通K要衝として重要な役割を果していたζ とが肯かれるのであるが、縄文時代Kないても、との附近での生活は、内湾文化の突角部となるような機-92ー