ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

末だ世に知られざる貝塚が数石津氏も私も興奮気味Kて、時の立つりを忘れていたが、気がつけば既K陽は西に傾いている。な別れしようとすると、築地の抄光寺迄送って〈れると云うので御厚意を受け、大生白原白中央道路を按けて、約三粁は念れた妙光寺迄行く。法燈長し七百年、鎌倉時代よhyC日蓮宗の名刺である。来る度κ幽玄な環境に心が洗われる。町指定の天然記念物白大橿は亭々と聾え、白檀の古木は古を語っている。板碑を見るため、墓所へ立寄る。入口にそれらしいものがある。ζ の墓所Kてはじめて家碑と云うもりを見た。家む形をした銚子石白石碑であb、碑面には文字は刻んで無い。何時む世Kっくりまつられたととであろうか。墓所の中央部K 一際立派左角の石碑がある。研べると永仁の年号が刻まれている。一千二百九十三年、北条貞時白時代である。妙光寺の裏の畑Kも貝塚があった。しじみ貝が出ている。土器細片もいくらでも拾える。今日一目白探索む成果を喜び、石津氏と別れ帰途Kつく。家K帰って、貝と土器片を出土場所別K箱K入れ棚に並べた。土器破片が細片なりで時代判別はなかなか困難である。石津氏と白貝塚探索は予想外の好結果を得たりで、朝からむ探索により、ケ所発見され、二日程聞を会いて、第二回目白貝塚捜しに行く。度々石津氏κ御足労を願うむも気白毒と考え一人である。潮来町教育委員会発行の「常陸大生古墳群」と云う本Kむっている地図。中K、大生神社の裏と左横C二ク所、それに釜森神社の近辺K貝塚むあるζ とが記されているそC三箇所と、大生塙台貝塚を捜すのが今日の王要目的である。大生の原を貫ぬく県道は舗装され、二車線の立派左道だ。自動車の交通量は少左く、心持よいサイクリング行である。もう二十数日雨がなく、寒空は益々青〈澄みきってhub、見ゆる限hyの冬ざれである。県指定文化財である鹿見塚を左に見て、百米程行き左を見ると周囲を一面に切りはらわれた枯原に、古墳らしいもむがぽっかb浮き出て居hy、いただきの松風は爽やかである。かねてとり山には前方後円墳があることを聞えていたが深い薮で入るζ とが出来なかった。今日はじめて見る。長さ七十米位の中型の古墳である。一周すべく枯木を分けて奥に進むと、そのさきにもう一つ大きさが同程度む前方後円墳が見える。ζ の辺一一帯が大生西古墳群であるらしい。後で聞いたことであるが、前に見た塚は天神塚と云う名称である。模型の様に整っている瓢形。立派左高塚である。前方後円墳。所在は四世紀から六世紀にわたる古墳時代に、大和朝-43一