ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

下河四郎之介曲松高田家K生る資性温厚篤実の君子なり。長じて村の豪農下河四郎兵衛K養はれ下河氏を継ぐ。勤倹産を治め克〈箕求の業を全うした。年壮かんなるに及び輿望を負うて明治二十六年三月選ばれて村長となる。当時はまだ封建政治の余涯が猶存して種々の方面K於て村政の運行も非常K困難であった。氏は一々其の衝K当り少しも渋滞在〈身を以って之を処理し村政の為めK努力された。殊K其の報酬の如きは一銭も私せず悉く之れを村K寄附さる。村民は氏を慈善村長と呼び其の徳を賞揚した。文初代郡会議員K当選し郡治の上Kも多大の治績を挙げている。今泉覚次郎鹿島郡大同村山口彦左衛門の二男K生る。延方村の豪族今泉新右衛門信安の養嗣子と左る。小より学を好み性剛直果敢、年十六笈を負うて江戸昌平費K学ぶ。南軒と号し学業大K成る。史典K通じ尤も詩文K長ず。明治六年の秋、森雨甚だしく利根川一円K氾濫し延方の耕地も殆んど冠水して収穫皆無K陥り悲惨極り左し氏之を嘆んじ村民と相謀り免租の運動を起し凶荒の状を具陳し県庁K哀訴嘆願した。然し此の年は地租改各地にも此の種の農民運動の勃発しあるを以て却って之れを騒擾罪K聞はれ訴願は却下と念り且つ百打ちの答刑を受くるK至・り遂に此の運動は不首尾の結果となった。然し氏もとより不携不屈の精神止む事左く刑後も幾度と左〈上書して県政の非を弾劾した。其の結果翌年四月Kは免租の通知あり。一村とζK漸く愁眉を開き安んじて生業K就く事を得た。明治二十六年三月推選されて村長となるや直撃常K上下の聞に相周旋し、大いK諸政を改革した。最も心を治水事業K注ぎ幾度とな〈丙号堤塘築造の儀を県庁K申請するも許されず。遂K意を決し村民と協議の上幾多の弾圧をも排し自財を傾けて夜堀工事まで為し、臥薪嘗胆の中K遂に此の築堤を完成し、治水百年の大計の基礎を築いた。故K村民の氏を見るとと全〈慈父の如くであり、その徳Kしたいよる近隣の、子弟Kは夜は燈下K孔孟の学を講じた。(塾称を誠文堂と云った)かくして氏の日常は村政改革人事百般にと全く私生活Kいとまなかった。正の時であり-49ー明治三十二年十二月二日偶々二軍の為め現職中に繋る行年五十六才挙村哀慕慈父の喪に服するが如く、葬の礼を以て之れに報じ先登の次に葬る。村