ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

は水原の岡と称し、れ、戸数約五十戸、田園を通して北浦の湖を眺望し、平坦なる畑地二十五町歩程の中央K、水原の総鎮守で、大同元年創鎌倉四方は水固に固ま建と称される香取神社がある。鎮守の西北方に、時代文永二年に、其当時当郷より鎌倉幕府出任の白井民部、横山将監等が、日蓮上人の高弟日門上人を招請して、常陸の国で一番最初の日蓮宗の寺院として建立した本国山妙光寺の跡地法華堂と、開祖の日門上人を祭る日門塚がある。文横山貝塚は、種々の郷土史料や文献κも記載されて居る様κ、香取神社を中心として数多くの貝殻が各所K集積され、縄文上期の土器の破片が無数の貝殻と混り合イ-居る。今回此の多〈の貝塚の内より、香取神社北方の貝塚を発掘せし処、縄文後期の土器の破片と釣具、杯、数点と住居跡と思しき処より炉形の土等が発見された。こうした出土品は今後此の地方の郷土研究に貴重な役割を果すものと思われる。以上奥水郷の散歩道と題して、古蹟を拙文で綴りましたが、は、御解読下さいます様、輪について記しますと、旧大生原台地の名所誤謬等のありました部分序K、古墳に関係のある摘記録では.人皇十代の天皇、垂仁天皇の御字、天皇の弟君倭彦命が莞去され、埋葬のときに近習の者達を殉死の礼により、多くの人達や馬などを生埋にした。生埋めにされた者達は、数日間泣き続けその屍を烏や獣が其肉を食べ、悲惨左姿になったので、天皇はとの姿を見て不情K思召され、殉死をやめさせ皇后の日葉酸姫のなく左られた時には、野見宿の建策を採用して、出雲の土器作りに命じて、人や馬の形をした陶器を作らせ、-aA OOζれを殉死の人や馬の代りに墓側に並べたのが、埴輪の起源である。埴輪は初めは出雲地方で作られ、次に幾内全上で盛に作り、寛氏は関東地方でも作る様になり、や家庭でも盛に飾る様になったのである。ζの各地の古墳筆者郷土史研究会副会長