ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

会を開いた際比笑話として新潟沖には鮫が居るので佐渡に兎が渡れたが、千曲川の左岸にはこれまでには野兎丙の実証がなく、右岸には上山田温泉の対岸で二人も同時に青年が山の兎を料理して典型的野兎病に羅った実例を前にして千曲川氏は鮫が居ないので左岸にはまだ兎が渡河していないなどと笑話をした事実は事実で更に追究の必要な段階にある。また北海道にも患者が実証されたが、ソ連の研究陣が満州、障太にもシベリヤ地区同様に多数の患者を診断している感度比比して日本のこの道での水準は残念乍ら国の立場で柳か低いことを指摘せざるを得ない。その方は勿論医学生物学界に委ねる乙ととし、私は野兎病菌、兎毒の因縁によって学祖本間玄調に敬仰し、その昔を逆上って稽醤舘の実跡と人脈からその人間性の一部に触れることが叶えられ、更にその先祖の道悦(松江)と芭蕉との親交、潮来自準亭での句会、三句連吟の碑にも連なる名医達の心情に蜘か考証と考察とを加えることが出来たのはやはりこれも奇縁であったとしか思えない。しかしまた芭蕉の奥の細道の旅を終えた最後の大垣の地は本間道悦の父資勝が勤務した大垣の地に他ならないと云う因縁は奇縁と云うよりは寧ろ宿縁と見るべきものである。中略斯くして私は学祖本間玄調の人跡、人間性に触れつつ源流を逆上り、凡ての墓標とその撰文に注目し(唯一つ三代目道仙の墓碑だけは長国寺にある筈乍ら末だ探り当てられていない)、在世当時の交友や拡がりを考証しつつその漂った風土を探訪し、感ずる所は極めて大なるものがあったのみならず、常陸の国造りの中に丁度鹿島大社の神万の素朴な輝きに似て、土産で土着した純粋な郷民とその文化の中の高くて清い指導者として、また真に温かい仁医の精進が代々の水戸候達や宰官の官僚化しない、所謂借楽園気風、即ち同じ座に座って共に対等に相楽しむ民主的傾向と弘道館楕神の水戸学の流れとが庫然となり、学悦の境に芸に遊ぶ理念と実践が極度にまで止揚発揮されたものとして、論語に云う「志於道、拠於徳、依於仁、蹄於芸」、即ち君子は正しい道をめざして修めた徳を根拠とし、その中で最も重要な仁の実践によりそってH芸H即ち教養の高い生活を楽しむ誠実な境地が稽醤舘をも創造した本間家人脈の人間性であり、親交の芭蕉翁の俳諸道もまた医道、禅定の芳しい香りの深い味の中で呼吸しつつ新しい独特な文学道を創造して、生活を豊かに楽しく、而も品位高く培ったものと考える。しかし彼等の周辺にも病人は多かったし、また彼等自身も戦場で命がけの負傷ぞし、不具者となってその為に却って真剣な医の道に努力精進した道悦の如きものもあり、融関療(肺結核)患者だった甥の桃印の世話を永年に亘って気にかけて背負っていた芭蕉も自ら感染もして宿栴の慢性持病を摂生精進によって耐えたのであろう。-103ー人生は困苦によって一層磨きがかかるものである。そして自らは淡々として一途に深奥を求めつつ、高く青空に漂ょっ