ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

勃発となり断念せんと思いしも熱心に運動を継続して奏功、ランプ生活と訣別し一戸一灯の明るい夜の生活に入り得たのは、皮肉にも敵機の襲来激しく毎夜灯火管制下におかれた昭和廿年四月の事である。戦中の増産運動による内浪逆浦干拓造成、特に戦後の農地改革は当地農民の解放に大いに役立った。曽て十番部落五十戸で有に千俵の小作米を納めたのも昔の語り草、今やその殆んどが自作地となり経営の基盤は確立されるに至った。昭和廿四年からは建設省によって常陸利根川歴史上最も大きな改修工事が行われた、従来の川巾を三五O米にするもので区内十五戸は鎮守様と共に移転した、殆人どが三度目の移転である。拡巾の土砂で江聞を埋立し、機械化を始め新時代に即応した農業経営を目的として県営闘場整備潮来出島地区事業が計画され治水と産業振興の基盤たる土地改良の同時解決が計られたのである。実施区域は十番はもとより福島徳島米島大洲各部落を含み、北利根川浪逆浦鰐川前川に固まれた出島全域七八Oヘクタール余で、昭和四十九年三月この大事業は完成し水路は陸路に整備され揚排水は完備し圃場は整然として、名実共に一新されて十番区は蘇生したのである。既に十四番地区及び沖之洲干拓の整備も終り、隣接する内浪逆干拓は都市計画事業によって埋立てられ市街化造成が進んで公共施設が立並び、内洲には国鉄鹿島線潮来駅が誕生し周辺は競って家を建て商店多く、水郷有料道路の彼方鹿島台地に臨海工業地帯の不夜城の灯が輝き、東関東自動車道鹿島線の一福島インターチェンジの建設等、曽ての入海であり半世紀前まで禽獣の践雇にまかせた二重谷は今新たな時代の脚光を浴びているのである。誌に二重谷の歴史を辿り十番区民一同子々孫々に至るまで祖先の志ぞ付度して日々精励し一層の繁栄を望む事切なり。水よ聞け事あらば今日の此の喜びを先人民伝えかし。土よ言葉あらば遠き先人の教えを永遠に伝うべし。悠久の流れを堪たえる常陸利根川を望む此の地に、飯田己之助翁の芳志により碑を建て篤く先人を敬慕して開拓の沿革を刻み永く後世に伝えんとす。-9-昭和五十四年四月七日潮来町長橋本義衛築書並に撰文潮来町吏員正義書→ーノ、合相筆者潮来町町長