ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

トに横になる。明けて五月四日は七時三十分朝食八時下船、大連の友誼商店(北京の友誼商店は国の管理だが此処大連は市の管理、ランクが一桁下がる)にて最店の土産品を購入する。交換した中国通貨の消化に一同苦労しながら、適当な土産品を探し求めた。今日も亦予定通り東山賓館にて昼食、午后は缶詰工場、飴工場を見学、缶詰の主な原料は、有名な大連リンゴ、魚類等、製品の六Ommは輸出してドル稼ぎとの乙と。主な輸出先は、日本、東南アジア、ヨーロッパ方面、使用している機械は日本製、末だ手作業の部面が多い。労働者は男女合せて千七百人、脇みもしない、笑顔も見せない、皆真剣な取組み方である工場見学を終り、続いて、地下壕の見学をした。万里の長城とは対照的で、空からの攻撃に備えた(対ソ連)物で、延長二万米、地下十八米、壕の天井の高さ二、五O米巾米千二百米の巨離を警備の者が付添って見学した。途中には万一の場合に備えて銃砲台を始め、幼椎園室、小学校教室等、それに附随した設備、全く至れり尽くせり、入口はホテルを経営、ホテルの一階床面から這入る様になっている。厳重な警戒をして居り、一朝有事には市民を収容し、四方八方郊外児逃避出来る様に設計され、四年前に完成したとのこと。まだコンクリートの臭いが鼻にしみる。此の積の地下壕は、市街地には向処にも出来ているとのことである。国防費の莫大なる乙と、乙れ一つとって見ても推察が出来る。大東亜戦争の日本の防空壕とは桁違いである。地下壕の見一粁程にして、星海公園、海辺に造られた公園学を終えて、で広々として地下壕とは対照的であり、ゆっくり散策して休一般市民も生き生きとした眼差しで、楽しそうであ養した。一夜漬けで覚えた中国語で、交換も何となく親近感が湧く。東山賓館にて夕食、八時帰船、帰国の準備も少し宛始める。十時また今夜も船の窮屈なベットに横になった。る(こんにちは)オの明けて五月五日七時十五分朝食前は伺時も甲板にてラヂオだいさい体操) 。八時下船、大案人民公社視察、農業は大棄に学べとEn〈中国では云ってるうだ。其の中の一部后智大隊である。ひとつの大隊と、一つの小隊とで一団をなし、独立採算式になっ乙れが六つ集って、ひとつの人民公社を形成してい-53-ている。る人民公社とは農業を中心に研究経営する組織で、自治体のようなもの。全国民約五万ある。此の后牧大隊は、大隊長は婦人(五十才前后、選挙による)である。平地に少々の畑。乙れには野菜、野菜のハウス栽培、少々の麦。此処の耕地は二十年来のもので、砂丘を取去り、窪地を平地にして、大井戸を七Oケ掘り、山の中腹に四千噸入りの水槽を作った。