ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

人との劇的な場面もあった。校舎や校庭、そして校庭の国旗(日の丸)掲揚のポール等、数十年前、日本が統治して居った頃造った施設そのま〉であるとの乙となので、一行中の卒業者達は感慨一入なるものがあった様子。見学修了後質疑応答約二時間。其の概要は、校長(男) 五十五才位、副校長(女) 五十三才位、職員数合せて六十二名、児童数千三百五十八名、学級数二十六、七才入学(日本六才) 五年制、中学三年、義務教育が行届いている。夏休み、冬休みが長いので一学期三月1七月、二学期九月J 一月、体育も仲々盛んに行われて居り、二学期制、(屋外、屋内)特にピンポンが上手で、オリンピッヴ選手の卵を思わせた。教育は、智徳体日本の戦前教育と同様、習字、画工、算数等の授業参観もしたが実に立派なもの。時も行届いて居り、活発できびきびしく振舞い、目付きも生き生きして、日本の児童には見られない様なものを持っている感じを受けた。成績の採点は百点満点、徳育面では、優、良、可、長欠児童(非行少年も含む)対策としては、父兄会を通じて手を尽し、教師が家庭訪問などして矯正をはかつて居る。成績の良い児童には襟に紅布を巻かせてあり、一目で判る様に(、ネッカチ!っ様のもの)しである。その功罪の程は質問し損じた。赤布で思う乙とは、中国ばかりでなく共産圏はよく赤色を使用している。到る処の彩色の如く。伺故に赤色が使われている。新聞にしても「赤旗」だろうかと質したら、革命には血の粛正がある。それによって良くなったのであるから、赤い血を忘れぬ様、そしてそれに対して感謝することだとの説明がなされた。成程と思った。然し伺となくどぎつくも感じる。日本では変る乙とを維新と言い、或いは改新と言い、血を流さず新しく元に戻す乙とである。昔日の我が日本小学校在学中の事など追懐しながら深い感動の裡に辞去、送り出される途中廊下の掲示板に、東京の小学校児童作品の習字が数十枚掲示されてあった。親善の一乙まか、作品を採点すれば、中園児童と比較すると、中国百点に対し八十点位か。最後の夕食の為、東山賓館に引揚げる。充分中国の味を満喫して、名残りを惜み乍ら、一時とれも友好5pb 間位にして大連港に帰る。十日間の行程中始めて、夕方から雨が降り出した。小雨の中、観送の市民と共に、小学校児童四百人位が、手に手に花束を振り上げながら、中国語で『道中気を付けて達者でね』を叫ぴ続け、薄暮の中、八時四十分船が出航する迄の、二時間位を小雨に濡れながら、見送って呉れた。一行異口同音に風枠でも引かなければよいがと、心配顔をしないものはなかった。現在の日本などでは到底見ることの出来ない心暖まる光景であった。船酔い止めの薬が船側から各自に渡されたので、玄海灘は荒れるのかなと、不安な予感を抱きながら、暗閣の大連港を出港、耀華号は博多港に向け滑り出した。