ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

梁川紅蘭女史の詩織旧鉄三郎潮来留別宮本茶村兄相逢難得隔常易。三日掩留尽笑欣。一汀色催来窓己暁。愁然不語手将分。家無賢子只齢簡。夫乏良朋惟奇君。莫怪臨別軽相模。出門誰興細論文。(潮来に宮本茶村兄と留別す。育逢ふは得難く隔つるは常に易し。三日の滝留笑欣を尽くす。行色催し来って窓すでに暁け。愁然語らず手将比分かたんとすコ家に賢子なくただ簡易」齢し。夫に良朋乏しくただ君あり。怪しむ莫れ別れに臨んで、軽がるしく涙をそそぐを。門を出でて誰とともにか細に文を諭せん) 字義潮来1i天保十二年三月九日。星巌夫妻は江戸を出発した。佐久間象山と大沼枕山とが送って下総の行徳まで到っている。相馬から手賀沼を経て潮来に来たのが十五日である。ここには宮本茶村が待ち受けている。茶村、名は球、字は求玉(仲勿の誤り)、通称は尚一郎、潮来の豪族であり、篭村の弟であって、星巌とは、江戸で「実疑塾・一に学んだ乙とがあって、書生時代からの極めて親しい友であった。二人は茶村の家で手厚くもてなされ、三日、留っ「ー、、・』。4’1tLV,t’大意とかく世の中はお目にかかることは仲々むづかしく、お別れするのは、いつも容易なこと。わたしども三日の問、お宅にとめて蹟き、十分に愉快にすごしたことはありがたいことでした。旅支度を催足するように、もう窓は明るくなり、かなしげにして苫葉もなくお別れをします。わたくしどもには、賢いfはなくて、あるのはただ書物ばかりでございます。夫には、またよいお友達もありませぬが、ただあなたさまだよいお友だちでした。だから、今お別れに臨んでぢきに一棋を流しますのを、どうぞ怪しんで下さいますな。お別れしてから一体どなたと、細かに詩文のお話しが出来ませう。さうした万はめったにありませぬもの。第七句の別の字失調、十JdH、-1-75-岐の誤でなからうか。梁川壇巌全集、第四巻、紅蘭遺稿より。原文のまま。但し)内は別。附記乙の時星巌五十三歳、妻の紅蘭三十八歳、そして茶村先生四十八歳である。実疑塾とは、山本北山の塾名で、有名な陶淵明の帰去来の梓の位後の旬、復た実んぞ疑はん、からとったもの、久慈出出身の大開詩仏も同円である。梁川星巌は日本を代表する大詩人であるばかりでなく、神附仏に