ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

のではないかと推察される。同二十二年潮来付と大洲村が合併して潮来町が誕生したが、同二十五年比七軒了が自立するに及び、旧潮来本町に十二町目が成立し、現在の形になったものと思われる。七軒丁内を東西に走る県道を境に北側の小字は七町目、南側のそれは八町目であること。七軒丁会館の西南側(大字潮来字七丁目九一七番地) に通称鷲の宮様と呼ばれている小社があるが、乙れは七町目の窪谷家(八人頭の一人窪谷太右衛門様) の氏神であること。これらは七軒丁自立以前の証左として知られてはいたが、以下史料によって七軒丁自立の経緯についてみると、明治二十五年八月七日潮来町大字潮米八二二番地(現在飯島藤次郎氏所有小林常蔵氏宅と推定され七町目、八町目る)において、地形上の不便を理由として、から分離、自立するための「七軒丁新設誓約証」を作成した。その際の押印者は三十二名であったが、「旧来ノ名称ニ基キ七軒丁卜名ケ」とあるように、当地はそれ以前から七軒下と呼ばれていたことがわかる。前記の誓約にもとづき、それぞれ別個に交渉し、間もなく分離が承認されたようである。後掲の史料からみると、七町目から一一十二人(「委任状」) 、八町目から十六人(「分離ノ証」) の都合三十八人の分離者が確認できるが、「七軒丁四十名代人L (「平田喜介授与シとあるように、約四十一戸が七軒丁自立当初の戸数であったものと考えられる。爾来八十数年を経過したタル証書騰本」)今日、アパート届任者を除けば、戸数においてはおおよそ一割強しか増えてはいないものの、戸別に吟味すると、半数強がその聞に転出入していることもわかり、時の経過が感じられる。七軒町新設誓約4レ七町困、1 」五円々ノ居住スJLI ノ地形殆ント長蛇ノ姿ヲナシ以西ニ事ハ同目アルニ際ン以東ノ人足ヲ知ラサルノ不便ヲ来シ遂一一一町内ノ義務ヲ尽ス能ハズ交誼上粗略-一流レ易キヲ以子今般七八町目鷲川以東ヲ以子一町ヲ組織シ旧来ノ名称一一基キ七軒了卜名ケ潮来町各町一一於子尽スベキ権利義務ハ我七軒丁ニ於子モ相務-83-一町内自立スル事ヲ希望シ之レヲ貫徹スルムルモノトス弦一一為発起者一同笠約スルモノナリ違約処分一発起者-一於-寸前件ノ誓約-一違背シタルモノハ新町設ウ了一付消耗シタル費用ヲ全部負担ナサシムル事ヲ得明治廿五年八月七日発起者安山波本@ ⑪ @定吉千里小沼定吉