ブックタイトルふるさと潮来 第五輯

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概要

ふるさと潮来 第五輯

大鏡高さ壱丈三尺六寸厚さ八寸口幅九尺一寸三分本尊十一面観音なり二月堂若狭井若宮八幡手向山西国第九番大和国奈良奥福寺南円堂御堂八角法形作り、本尊不空けんさく三目八管の観世音なり藤原淡海公建立なり。金堂講堂北円堂五重塔三重塔焼失すと云う。八重桜木辻此所遊女場なり。此の奈良名所の儀は案内者百五十文にて委細頼み残らず見物す。併しながら筆にも書記しかね候得ば南都名所記を求め是にて能く知るべし。此時、小力屋善介立会にて大和廻り名所古跡三十ケ所を証文に認め宿屋引請大阪迄弐貫四百文民て相頼む。雑用構いなし。乍ドド首郷上史研究家潮来弁天余話磯ゎ日円H υ向い片千葉県香取郡小見川町に園部域祉がある。江戸時代に園部城主の流れをくむ園部氏が潮来に移り住み、その守り氏神様として、安芸国巌島の弁天を紀ったという。園部源助の時に平地では火災の心配もあり、もったいないので当時の園部氏の持山であった現在の弁天山の中腹に紀りかえたのが潮来弁天の起源であるといわれている。この弁天山は茨城県潮来土木事務所北方、国道五十一号線一を横ぎり狭い田圃を越えた所の海抜二十米の山で行方台地の卯南端に位置し弁天台地ともいい、先史時代古代人の良き住居一地域でもあった所である。江戸時代末期には潮来陣屋がこの台地上に構築されたが天狗騒動の時焼失し昔を偲ぶよすがもない。この台地の南側斜面の中腹、松林に固まれた所に一間四万(一・八米半万)位の小さいトタン葺切妻式の洞がある。弁天はインドの女神であり、七福神の一人で美人で音楽と弁舌を司る素晴しい神であると信仰されている。弁天様は白蛇に乗って世界をまわられるといわれているが、期来弁天でも二尺(約六十糎)位の白蛇が住んでいた事があるという。世界第二次大戦前即ち昭和十六年前には容量二斗(約三十六立) もある男がめと女がめ、それに一升(一・八立) 、二