ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

ページ
18/108

このページは ふるさと潮来 第六輯 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

ふるさと潮来 第六輯

勝寺楼門のスケッチが収録されている。その絵の余白にこうそんたふ海雲山、寺名を失す。古鐘有り。里人宮本軍村の弟正一郎、揚してたふほんそ相贈る。予総に務、び、徴すべきは集めて帖と成す。斯の鐘の揚本も其の中に列す。屋代輪池翁に貸し、伝へて写山翁に転じ、還らずして終に失ふ。〈通釈〉海雲山には、いま寺号を失念したが、士口鐘があった。郷土の人宮本重村(市川任三「芳川波山小記」によれば、漂浪癖の重村は、このころ江戸におり、同じ本町出身の芳川被山らと交り、文政十年に一首都五!;っ’・ , リ:,??二、,\',,,:./・~1i;t:4;子;{(~i:~~i,ね7付体以内駅fftf(ト・0戸、?(; ドーき‘へJ;ャ,:r,,;:.; ,暗.~ \)'..!'-:, 申\?と‘5.i{J・6 ・;;;:;ふ1/:;、;;シ::~:)/)//冷害ぶ::;i/(J:起i’?沿い:::.;.;~~!~~か政;i\~i議:渡辺華山の「海雲山在潮来北里」『四州真集』所収国立国会図書館蔵は幸橋御門、いまの港区新橋一丁目外濠通り新橋駅ガlド下あたりに新居を構えている)の弟の尚一郎(茶村)が鐘銘を拓本にとって贈ってくれた。私は下総(北総)に遊び、特に資料とすべきものは収集して綴じこんでいた。この鐘の拓本も、その中に収めて珍重していた。たにぶんちょうところが屋代弘賢翁に貸し、さらに谷文晃(江戸中期の文人画家で、峯山・立原杏所らの師である。松平定信に従って諸国を巡歴し、集古十種』のさし絵を描いた)翁へと転貸されたまま返却されず、とうとうなくなってしまった。と嘆いている。会Lょうちゅ内ほう第九代藩主斉昭は、摸夷論を提唱して致鐘鋳砲政策を実施し、天保十四年( 一八四三)四月十日から十四日にかけて、水戸藩南領の寺院つきがねわにぐちの撞鐘・鰐口などを大砲鋳造用にことごとく没収した。長勝寺鐘だけは懇願もあり異例として難を免れたが、麻生町富田から潮来町延方にかけて、わずかに浄国寺の釣鐘だけが銘文をつぶして時の鐘として残10一された。今日よりは心のどかに花をみんタぐれつぐる鐘のなければ徳川斉昭土守々へきびしい鐘の御催促その言訳にぢしん参上安政大地震(安政二年・一八五五)吊鐘の事もいつしかじゃんじゃんと(東京堂『落首辞典』)鎌倉水殿な戸のつ烈寄た公進がもの今盟会巨かにし鐘ね音やは沙せ汰ぬもなし同柳知