ブックタイトルふるさと潮来 第六輯

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概要

ふるさと潮来 第六輯

わしの意味は「私は今生死の境に立ってみると、あたかもすべてのもびらんふうのを、その暴威によって破壊し尽すという毘嵐風が吹いてきて、うるお天空を席巻して海水今沸騰させ、そのために天上の星も水蒸気で湿っちじんてしまうかと思えるようじゃ。また、国土を守護する地神が怒って、黄河の畔に馬王が氾濫を防ぐために鋳て杷ったという鉄牛にぜうか鞭を当てて走り出したのも同然じゃ。その素早さは、電光も石火びらんぴらんぶうも到底及びはしない。」「毘嵐」は毘嵐風のことで、劫初・劫末に起る迅速猛烈な大風で、その暴威によってすべてのものが破繍概されるという。この風は、世界の周囲にある鉄囲山の外で吹き荒れ、鉄囲山がこれを防いで人四州に吹いて来ないようにしている(『禅学大辞典』)『臨済録』に「石火も及ぶなく、電光も通なし」際の世界は、速度である。物差しで測ることができない)とある。しゅそたいしゅ遺備の最後にある「珍重せよ。首座大衆」の「珍重」は、別れを告げることばで「お大事に」とか、「自重自愛を」という意である。天岸慧贋は「東帰集」で、次の折句を作って、古林清茂と(双壁)をなす清拙和尚の死を悼み、両師亡きあとの禅といわれる。また、(真如実林「折ーの婁清来」拙を和憂口! え末ノご後ノえ句ヲシテス一-作て四偏-拝悼和不聞韻一。鶏三撞見足十花嵐峰三深巻前天キレテ大皇処空定, 斗謝ヲ’湿司三海中’郎水立夜波来旬亡失作却ν シス舞u船与上慶ノ喜揖泣ク馬去腹来瞳生胎死裏ー没ー交出渉入ステルノグヲ地神怒把鉄牛鞭過=那辺一踏一断掠約一成τ 両概直超τ 生仏未分前一プコトヘニゾナル石火電光追莫及業風吹転一何急禅林落葉墜樹秋大法如今誰建立(必)成願寺は、神奈川県湯河原町の城堀にあった。現在は城願寺と称し、曹洞宗に属する。山号を万年山よいい、開山は清拙和尚、開基は土肥氏である(『扶桑五山記』二)清拙和尚を開山とする寺には、開善寺、成願寺の外、輿聖寺(京都八坂。廃寺) 、能登の安国寺(未詳。一説に七尾市古国府安国山正福寺)などがある。倒跨て膳瞳一〔文献〕『中世禅宗史の研究』(必)「三山」は文学的な表現と考えられ、断定的には比定しがたい。(訂)清拙和尚が入寺式を挙行した中国の( 一)鶏足山聖因寺、-28-曹渓山真浄寺、来朝後( 三)建長寺(のちの鎌倉五山第一位)、(四)浄智寺(同第四位)、(五)円覚寺(同第二位)、(六)建仁寺(のちの京五山第三位)、(七)南禅寺( のちの五山の上)の七寺を指す。たっちゅうぜんご(必)東山建仁寺の塔頭の一つに、清拙和尚が隠寮として建てた禅居庵がある。同庵の本堂は昭和四十八年に焼失したが、摩利支天堂{岨)は小笠原貞宗によって建立されたものと伝えられ、建築史の専門家は、禅宗様仏殿(唐様仏殿)の古い遺構で室町以前のものと推ろっぴ定している。奉抵されている摩利支天像は、顔は天童女で三面六管(三つの顔と六本の腕)身には甲宵を着け、頭には宝冠を戴き、七頭の猪に乗っており、清拙和尚が「中国から持ってきた土で造っ